- 2006年09月16日(土) 乱にいわく、やんぬるかな くににひとなく、われをしるなし またなんぞ故地をおもうならん そこまで書き連ねて、屈ははじかれたように立ち上がった。詩文はかれの血である。血管中をとうとうと流れている赤い雫よりもっと近しい、もっと熱い、かれのたましいそのものである。それを竹簡のうえにほとばしり散らして、このとき動悸ははやく呼吸ははげしく鋭く狂い乱れていた。 自ら書いたところは、自ら信じねばならぬところだった。もはや楚国に一人としてかれの味方はおらず、かれを重んじるものもない。思えどいかんともなき故国を思い慕うことは断腸の苦しみにほかならなかった。 やんぬるかな、やんぬるかな。書きつけられた文字は心臓の肉片の絡んだかれの血であった。狂いたつ思念から逃れんとするようかれは身をよじり、だがふで先は生き物であるかにねじれ痙攣しつつさらに書いた。 すでにともに美きまつりごとをするなし われまさに膨咸のあるところにしたがわんと欲す 膨咸とは殷の御代に君主をいさめて聞かれず、自ら身を投じた男であった。 屈はここに自らの死を書き、書き終えて筆を投げ捨てると身も世もなく啼いた。遠からぬ日にこの言葉のまこととならざるをえぬことを知っていたからである。そしてまたかれがまだこの国、この美しい水辺の国、この明るい日差しの国を我が身のごとく愛していたからである。かれは死してのち、楚国の鬼となった。 屈原『離騒』より。 秦による統一に先立つ戦国時代の中原のはるかに南方、楚の国の王族。 楚独特の「兮」という助字を用いることから、騒体と呼ばれる。 漢詩の美の半ばは漢字という文字の感応作用にあるが、 ここではより日本的な情緒を採用してひらがなを多用した。 中国と古代ギリシアの似ているのは、 男子は国政にあずかることを本懐とするところだろうか。 特に屈の場合は、王族の生まれだからなおさらで、 乱世に苦しむ祖国を救おうと改革を試みるが、王に疎まれて退く。 その後は悶々として楽しまず、やがてみずうみに身を投げて果てる。 思うに、かれらは命というものにすべからく意味などないと知っていた。 ただ意志によってのみ生きうるということを知っていたのである。 「我が意をえない」ということはまさに死に値する深刻な憂いであった。 人間が、その生存という階梯を超えねばならぬと暗示しているのかとさえ。 -
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