終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年09月13日(水)

落下する天窓の絵

心理学かなにかの寓話か、私の脳裏を離れない。
粉々に砕けて鉄枠ともども落ちてくる天窓の映像が。
タロットにおける「塔」を内側から見ているような気がする。
天窓は間もなく私の上に落ちてくるだろうか?
だがこうしたヴィジョンに重力を前提するのも奇妙なことだ。



自分のことにかかりきりになってはいけない。




 一人の老婦人について話そう。彼女の夫は戦地に行って、その地で没し、その地に埋葬された。彼女は残された子ども2人を守って戦後を生き抜き、時代はとうとうと流れ去った。骨張った老女の手がたぐれば61年。誰かが戦後は終わったといい、新幹線やあさま山荘や、高度成長期やバブルやその崩壊のあとの失われた10年や、オウムやイラク戦争や。そんな歳月。
 彼女はどれだけ苦労をしたことだろう。どれだけ人知れず泣いただろう。あるときなどは、夫のもとへ行ってしまいとさえ思ったのに違いない。それでも歳月は流れ、あなたは痩せて、髪はもう白くなってしまった。
 ある朝、黒服の2人の男が玄関を叩いた。誰だろうと迎えに出た息子は、はっと息を呑む。男たちは手に白木の箱を持っている。その上に書かれているのはまぎれもなく死者の名だ。男たちは告げる、ようやく見つかりました、ようやくお返しできることになりましたと。
 息子は死者のように青ざめて箱を受け取った。そしていう。2階に母がいます。そこに持って行きましょう。そして持ってくる。だが老婦人、この尊ぶべき老婦人はもう何一つ理解しない。彼女の半生はこのわずか半年のうちに老いと病にすっかり洗われてしまって、残っているのはうっすらと光のあふれるむなしい器だけだ。あなたは悲しむことも喜ぶこともない。
 ああ! 悲しみや喜び、尽くされるはずだった涙はどこにいけばいいのだろう? あなたはうつろで、あんなにも愛し慕い、その忘れ形見の生育になにもかも捧げてきた夫の遺骨はそのしなびた手の下、箱の中でころころと乾いた音をたてている。ここには吹き荒れることのできない嵐がある。途方に暮れて静止しているよりほかない嵐によって、見るものすべての思いを苦しめる。


-



 

 

 

 

ndex
past  next

Mail
エンピツ