- 2006年09月12日(火) 「石柱」 まず私自身について述べることにしよう。私の名前はファーガス・フィニューカン、職業は作曲家だ。それに著名な、と付け加えるべきかもしれない。謙譲の徳をむやみに押し出すよりは、これまで積み重ねてきた努力を誇りたいと思う種類の人間だということもわかってもらえるだろうから。年齢はこのあいだ48の誕生日を迎えたところ、住居は数ヶ月前にロンドンから引っ越してアイルランドの海辺に移った。 さらに続けよう。私は数週間前に妻を亡くした。警察は、彼女の行方をまだ追っている。しかし私はもうこの世のどこでも彼女が生きて見られることはないと知っている。 あなたはおそらくいま、疑いを抱いたかもしれない。なにゆえ彼女の死をそうも確信しているのか? 警察が追っているというのは彼女ではなくむしろ私ではないのか? さてこれらの疑問はそれ自体のうちに推測を含んでいる。あなたがたが抱いた疑問とは、要するに「あなたが妻を殺したのではないか?」とそういうことだろう。率直に答えよう。「私は妻を殺していない」と。警察も同意してくれている。なぜなら私は盲目だ。 妻が死んだのは、ある穏やかな午後のことだった。実のところ彼女は私の若い代理人と通じていて、さらに云うと私はそのつい前夜に知ったばかりだったが、もうずいぶん前から私を殺すつもりだった。計画では、私は海に近い庭先から足を滑らせ転落死するように偽装されることになっていたらしい。実際には頭を殴るつもりだったと思う。 その午後私は殺されてやるつもりだった。なにより私は彼女を愛していたし、その彼女が私を殺したい気持ちでいると知って、柄にもなく「世をはかなん」でいたからだ。 それで私は、庭におびきだそうとする彼女に逆らわなかった。危険な庭の隅に立って、運命の一撃が頭上に落ちてくるのを待った。だがそうなる代わりに、妻の鋭い悲鳴が響き、杖をついて這い寄ると、庭の真ん中に生えている先史時代の古い石柱に彼女が吸い込まれ引き寄せられ溶けてしまうのにでっくわしたというわけだ。村のきちがいじみた年寄りによると、なんでもその石柱は悪いものを吸い込む力があるらしい。あとにはぼんやりと、手のひらにだけ感じる顔が石柱の表面に残っていた。 なにしろ私は盲目だ。彼女が消え去ったことで多少の騒ぎはあったが、疑われることはついぞなかった。そのうち彼女の多額の借金が明るみにでるにあたって、失踪ということでそれも落ち着いた。その頃には私も正気にかえり、あんなあばずれのために死んでもいいと思ったことさえばからしいと思えるようになっていた。それでしばらく放り出していた作曲の仕事にとりかかろうとしたが、ふいに待てよと思った。この石の柱が悪事に敏感だというなら、これは意外に面白いかもしれない。 最初に考えついたのは、それまでの料理人や警護を解雇して、通いの家政婦一人に切り替えるということだった。金持ちでめくらの作曲家が一人で暮らし、しかも夜は誰もいないとなれば、その筋に伝わらないことはない。 果たして数日のうちに、夜中の侵入者に目を覚まされることになった。 「起きろ、金のある場所に案内しろ」 うわずったような声の若い男だった。首筋にちくりときたところをみるとナイフを持っているようだった。私が、金庫は庭に埋めてあると言うと、男は私をせきたて、庭に連れ出した。石柱のところでもう一度短い問答があって、朝には石柱の上にもう一つの顔ができていたという次第だ。 さて、そうしてもう幾つか石柱の上の顔を増やしたところで現在に至る。世に真砂のごとくはびこる悪の掃除に一役買えるとあって、この「ねずみとり」も気に入ってはいるのだが、いまは別の計画を進めている。昨今はやりのテロリストとやら、あれを一掃する方法はないものだろうか。なかなか難しそうだが、私は著名人だし金もある。なんとかうまくおびきよせる方法を探して見つけられないこともないだろうと楽観している。 というわけで、作曲はいささか遅れ気味、プロデューサーからのせっぱ詰まった電話がしょっちゅう鳴っている。もちろんおいおいには片づけるつもりではいるが、そろそろこの老いぼれを、個人的な楽しみに没頭させてくれてもいいのではないかと思うこともないではない。……もちろんこれは単なるぼやきだ。私は勤労を貴ぶ。 『アイルランド幻想』(ピーター・トレメイン) 同名の短編がちょっと物足りなかったので後日談を制作してみた。 書き終わるまで2時間かかってないか粗品だからご容赦を。 -
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