終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年08月19日(土)

 たった一つの祈りの火が、暗闇の向こうで遠く、燃えている。オイディプスは夜半の町を窓から臨み、その陰鬱さに眉をひそめる。館の主の勧める通り、朝早く発って再び戻らないことが最良の選択と思われた。

(ただ解せないのは)

 オイディプスは思う。テーバイに至る道すがら、聞かされたのは、この町には人を取って食う悪霊がいるということだった。それは女か獅子の形をしていて、広場かどこかそうした場所に巣くっているのだと。
 しかし広場には、悪霊はおろか人の姿ひとつなく、それどころか町に入って旧知の商人の館の戸を叩くまでに人影さえ見なかった。館の主は災いについてなぞめいたことをほのめかしたばかりで、災いという女についても多くは聞けなかった。城壁の女のことを持ち出しても首を振るばかり。この都を包み充満し、偏在する死は、どこに由来するのか。およそ異形の悪霊など見あたらないなかで、オイディプスの疑念は夜とともにいよいよ深まり−

 夜陰をついて、悲鳴が上がった。

 一つ、ではない。遠くまた近く。高くまた低く。闇に沈んだ町のそちこちから、悪霊の群れが目覚ますように。しかも目に見えるなにもないことが、オイディプスの乾いた肌に怖気を走らせた。
 悪霊の群れ、恐怖にか怒りにかあるいはほかの何のためか。闇の近く遠くに、無数の悲鳴が、絶え間なく響く。ひどく近く、おそらくは館のうちからもそれが響き始めるに至って、オイディプスの額を冷たい汗が伝った。
「朝、朝だ。夜が白んだら」
 自らに言い聞かせるように呟き、額を拭う。その手も震えていた。いまや都は悲鳴の無数の柱を備えたようだ。窓辺から身を引こうとしたオイディプスは、視界の端、燃え続ける祈りの火の前を、ひとつの影がよぎるのを見たように思った。それはあの赤毛の女であろうと、オイディプスは思った。


-



 

 

 

 

ndex
past  next

Mail
エンピツ