- 2006年08月15日(火) テーバイの町を廻る城壁の上に、赤毛の女が、夕映えの方を見つめて立っていた。沈み行くアポロンの火の紅の中にあってさえ女の蒼白の顔色は隠れもなく、肩に垂らした豊かな髪は燃える戦の炬火のようだった。オイディプスは街道を町に近づく道すがら、女に気づき、ぞっとするほど美しいが、同じほど不吉で恐ろしい女だと思った。 夕暮れが深まり、色あせ始めることにたどりついたテーバイは伝え聞いていた通り、うつろな死に満ちていた。広場には人影もなく、神殿に供華の火は絶えて久しい。堅固な七尋の城壁に備わる城門さえ、内には守るもののひとつもないというよう開いたままだった。一人の番人もなしに。 (来なければよかった) 塵ばかり舞う町の宮殿に続くまっすぐな道を歩きながら、オイディプスは思った。コリントスの王家に育ったかれは、繁栄も衰亡もかぎわける嗅覚に恵まれていた。それは春や秋と似ている。すべてを変えるのだ。だからかれは、この不幸な町を訪れようと決めた自身の気まぐれを悔い、この町の死の気配が自分の上に不吉な印を残さないようにと海神に祈った。 「災いがどこから来たのか、どのように始まったのか、誰も知りませぬ」 老いた商人は低い声で言った。わずかな灯火は床に置かれて、宵の部屋はひどく暗い。オイディプスは客人の座について黙って聞いた。そして思う。ここでは、あらゆる隙間に死が充満し、人々はそれを驚かさぬよう、揺るがさぬよう、息を潜めている、と。 「我らテーバイは、災いの来る前のことを思うことはできないのです。災いのなかったころ、災いのない町を思うことも。あらゆる思念、すべての記憶は輪を描くように災いの内に定められ、どこまでも恐怖と絶望を離れえず、それゆえ」 商人は言葉を切って、暗い目を廻らせて、揺らぐ灯火を見つめた。言葉はすべて独り言に過ぎぬように低く、聞き取りにくく、ぽつぽつと語られる。 「それゆえ、災いはここにあり、我らもまたここにおります。しかしお若い方、あなたは来た道を覚えておいでです。朝とともに発たれませ」 「しかし」 オイディプスは両手を膝の上に組み、静かに言った。老商人はピクリと額に折りたたまれた皺を揺らしてこちらを見る。 「私にはわからない、災いとは何なのですか」 老商人はまじまじとオイディプスを見た。その顔は心なしか青ざめ、唇はおののいている。恐怖に鷲掴まれているのだった。 「なんということを、お客人。ああなんということを」 老人は長い時間かけてそう囁くと、オイディプスの襟元を掴んで囁いた。 「女です。あの女の謎です」 オイディプスは城壁の女を思い出した。美しくも不吉な女のことを。 -
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