終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年06月11日(日)

ところで最近、

 保健所に行って、いわゆる「処分」なるものを見てきた。死んだ犬の群れは毛皮の固まりにすぎない。その中に、さっきまで震えながら私を見ていたゴールデンレトリーバーが紫色の舌を出して硬く動かなくなっていた。絶望したようにうずくまっていたパピヨンも、私に向けて尾を振った子犬らも。死ぬというのはこういうことだ、殺すというのは。何も難しいことはない。

 別に人様の神経を逆撫でしたいわけではない。単に、実際に行われているにもかかわらず、それがどのようなことかを知らないでいることによって、無関心でいることはできないと思っただけである。
 死は死に過ぎず、悲惨は悲惨に過ぎない。だが受け入れるにせよ肯わないにせよ、感情面を含めた形で対決しないのはうさんくさいことだ。何もせじずに遠く離れて嘆くばかりの人は「心やさしい」とみなされない。泥にまみれて非難を受け、愛されるより先に愛している人間、大きすぎる義務を自ら背負う人間だけがそう呼ばれる権利を持つ。彼らは不幸である。

 それで私はというと、歯を食いしばってこうした事実をわずかでも改善しようとは思わなかった。ただ私にできる形でこうした悲惨を少なくするべきだと思っただけである。それはエイズに対しても貧困に対しても差別や戦争に対してもそうであって、私は心貧しい凡人に過ぎない。ただ現実に何が起きているのかこの目で知っておいて、そうすることを決めようと思う。


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