終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年06月03日(土)

ピアノの音というのは

 独断偏見でいうと、パーフェクトにダウナー系だ。頭の芯がゆっくりほぐれる感じがある。特にモーツァルト。あとロマン派。バッハはどっちかというとニュートラルに近いのだが、それでもモノによっては眠くなる。クラシックピアノでアッパーな音を響かせるのはGグールドぐらいだ。彼にはピアノで人をいらだたせるという珍しい能力がある。

 そういえば、このあいだ夢をみた。非常にナンセンスかつ恐ろしい夢で、起きてからもしばらく動悸がおさまらなかったくらいだ。どういう夢かというと生物兵器に襲われる夢で、えーと。場所は小島である。この小島の半分は軍の研究所で、そこで生物兵器の研究をやっていたわけだ。その生物兵器が逃げ出して、なんのつもりか私が住んでいる小さな町のある岬周辺を襲うわけだ。しかしこの生物兵器ときたひには、長さが多分100メートルくらいあって、太さも4−5メートルはあるという巨大なやつで、それも1本ではなく4本が束になっているお徳用。こいつが怒りにまかせて岸辺にうちつけ、キングギドラのようにそのへんの人々を食い散らしていくという次第。
 そういう襲撃の真っ最中、家に隠れてブルブルしているという夢を見たわけだから、起きてから自分がふがいなかった。せめて雑草駆除用の火炎放射器でも持ち出して応戦するか、カメラ持ち出して激写ルポすればいいのに夢の中の自分、と。しかし怖かった。どっごーんと荒波とともに打ち寄せる生物兵器が陸に打ち上がって、ブロック塀くらい平気でぶっ壊して、家の中の赤ん坊とかまでさらっていくんだもんよ。これはいったいどういう夢分析。

 流氷の海を、海底から見上げている思いを抱くことがしばしばある。これはまったく比喩ではない。見えるのはおそらくどこぞの映像で見た風景であり、ただそれが見たものよりもはるかに真に迫っている。私が自分の能力のうち感心できると思うのは視覚的な追認の能力である。
 私は何度となく引っ越しをしたが、その全ての家について正しく視覚を追跡することができる。通った学校についてもそうだ。「何階だった」と知っているのではなく、目を閉じてその視界を追想し、そこから数えるのだ。これは現実よりもう一歩進んだところでも応用しうる。つまり想像上、もしくは限られた情報、データから多角的に視覚を追認もしくは構成できるのである。これは多分、見たことのあるものより以上は出ていないのだが、同時に見たことのあるものから見たことのないものを構成しうるということでもある。よって、じつに多くの場合、私が「知る」といったときは、それを疑似であれ「見た」ということなのである。ある意味これは困ったものだ。
 そしてまた、私は知識を集積しようとしすぎる。私が再構成しうる範囲は広まりこそすれ狭まることはない。こうした視界をえることはときに致命的だ。私は殺人犯の思考をさえときに追跡する。これは快くはない。だが私はそれをやってみようと試みるし、できないことはない。どの程度正確かはともかくとしてだ。その結果、再構成によってえるものは苦い。多くの場合。


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