終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年05月07日(日)

「死」のあとで

たとえば、空腹による苦しみを感じているとき、
その事態の解消として望ましいのは、適切な食物を得て腹を満たすことだ。
手あたりしだいのものを口に入れて腹を下すことではない。
飢え死にすることではない。苦しみのあまり狂気することではない。
また自死による苦しみの主体の解体でもない。

人間がなにか問題を抱えるとき、
そこには望ましい解消とそうでない解消がある。
問題が大きく激しいほど、解消への欲求は強まる。
それがあまりに強まれば、理性的な目には「望ましくない」とされる
解決法でさえ時に選ばれることがある。

多くのことは、ハムレットほど簡単ではない。
問題は、望ましい道が閉ざされているとき、高まる苦痛にいかに耐えるか。
慌てて「望ましくない」解決に走らず「次善の道」に譲る分別があるか。
これらに尽きる。


そしてまた「何が望ましいか」を知りうるかどうか。


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