- 2006年04月22日(土) 「V for Vendetta」(2006、米) 監督:ジェイムズ・マクティーグ 主演:ナタリー・ポートマン(イヴィー) ヒューゴ・ウィービング(V) 【あらすじ】 近未来、ノースファイアー党の独裁政治が展開しているイギリス・ロンドンで、テレビ局に勤めるイヴィーは、ある偶然から仮面の男「V」と知り合い行動をともにするはめになる。Vの狙いは革命か、復讐か―。 【感想】 ウォシャスキー兄弟(兄妹?)が脚本・制作に回ったのだから、映像がピリッとしていないはずがない。2万個というドミノを倒すシーン、ナイフを手にしたVが兵士を次々と倒してゆくシーンは胸がすくようだった。ニュース映像っぽいカットもものずごく良かった。しかしなんだか、どのシーンも小粒なのである。クライマックスでさえ、カタルシスの必須条件である空間の広がりを感じられなかった。残念である。 そして、この兄弟の映画ではたいてい思うのだが、音楽が印象に残らない。『パイレーツ・オブ・カリビアン』の序曲、『ヴァン・ヘルシング』のギターの音色が印象的なヘルシングのテーマなど、筋書きがでたらめでも、人物の心情や風の色までも浮かび上がるような音楽にあったことがない。 役者は、これはもういうことなしだ。ポートマンにしろウィービングにしろ、すばらしいの一語の尽きる。ウィービングなんか顔出しなしで、よくまああそこまで観客の心をわしづかみにできるもんだと感心する。ポートマンは、イヴィーの恐怖やそこからの成長ぶりを確かに感じさせてくれる。 筋立て…はなァ。ウォシャスキー兄弟が脚本書いた時点で、ある程度以上の整合性は求めていませんな。そしてある程度の整合性はあった。メッセージについていえば、どうだろうなあ。「自由と革命」に関してはノーコメ。私の好きな言葉は「責任と伝統」だから(笑)。 しかし「すべてがVになる」ラストシーンは好きだ。イヴィーの言葉も。 【ネタバレ蛇足感想】 「ヴェンデッタ」という言葉について思う。あれは何の本だったかなあ、復讐に明け暮れるイタリア人へのインタビューだった。 「ヴェンデッタというのは、自己満足の一種だ。 奴の息子が私の息子を殺した、だから、奴の息子を私が殺した。 それで私は心安らかに、こうして座っていられるのだ」 復讐は、目に対してそれよりたくさんのものを求める行為ではない。だからVの行為に対して完全な共感を抱くわけにはいかない。だいたい彼は素性がはっきりしないから感情移入ができにくいんだ。イヴィーへの感情も。 むしろ、論理面からいえば好意を抱くのは、謎解き担当のフィンチ警部であって、ゴミ箱蹴飛ばす姿はかわいらしいの一語につきる。政府の陰謀、Vの過去、現在。そしてガイ・フォークスの死なざる意志。 個人的な希望をいうなら、もうちょっと政府内部で追いつめられてほしかった。あの伏線は結局、回収されなかったなあ…。まあ仕方ないが。 一年という期限を切るなら、もっと、日付が押し詰まっていく感じを出してほしかったと思う。ちょっと散漫だったし、時間の流れが不明瞭だ。 点数つけるなら55点。見てもいい感じ。しかしアレか。 題名をきちんと邦訳すると「復讐(ヴェンデッタ)のV」か? -
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