- 2006年04月11日(火) 【アイアン・メイデンの抱擁のもとで】 「育つ」ということ、「成長」ということが謎だった時代があった。 人間は何者として生まれ、どうした能力を発達して社会の一員となるのか? 言葉はなるほど学ぶべきものだ。算数も、歴史も、科学も。 だが会話の技法、探求の原動力は? 女性を口説き、デートに誘うには? それらはどのように発達し、身に付くのか? あるいはそんな必要もなく自然に芽吹き育つのか? そんなことすら不明だった。それは謎だったのだ。 「ひととはなに」 その問いが哲学を出て科学の手に渡ったとき、一つの実験がなされた。 布を張った人形にすがるアカゲザルを写真を覚えているだろうか? そこでは愛が問われた。 小さなアカゲザルの子供には二つの「母親」が与えられた。 一つは針金の骨格にほ乳瓶を据え付けた人形で、 もう一つは柔らかい布地を張り、暖かさを備えた人形だ。 サルの子供はどうしたか。 ミルクをくれる針金人形にはただ食事の時だけとりついたが、 普段は柔らかい布製の人形に抱きついて引き離されれば泣き叫んだ。 これをもって研究者はいった。 愛着はぬくもりと柔らかさを伴う「ふれあい」によって形成される。 それは必ずしも母親でなくともよい。 折しもウーマンリブ全盛の時代、その報告は女性を家庭の外に導いた。 だがこの話には続きがある。 布の母親のもとで「育った」サルの子供たちは群れにとけ込めず、 配偶者を見つけられず、異常な行動を繰り返した。 研究者は少しばかり条件を変えてみた。 布地の人形に動きを与える。 一日に少しの時間、仲間の子供と遊ばせる。 それでサルたちは正常に育った。群れにとけ込み、妻や夫を得た。 研究者は科学的な公正さでもってこの結果を報告した。 さて、どうだろう。 アカゲザルはサルの仲間のうちでもっとも単純な種族だ。 その健全な生育に必要なものはそれかもしれない。 不遇な育ちをした子供はなんとか社会のしっぽについて行けるかも。 だが人間は? 人間にはもう少し多くのものが必要ではないだろうか? 核家族を、複雑な社会を構成し、緊密な社会を営む人間は。 現代社会は壮大な実験をしている。きちんとデータを収集すべきだろう。 -
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