- 2006年04月10日(月) 今日の一枚:男前の狛犬氏と、もだえる桜 【ラット・ランドの呪縛】 ずいぶん昔の心理学の実験について読んだ。 薬物に対する依存症について検証したもので、なかなか独創的だった。 概要はこういうことだ。 まずラットを一匹ずつ檻に入れた群(Aとする)と、 環境、個体数などで望ましい状況に置いた群(Bとする)を用意する。 この二つの群に飲用としてコカイン(もしくは他の常習性のある薬物)を 混入させた水を与え、“薬漬け”にする。 次に、コカイン水のほかに、薬物を含まない水を用意して ラットたちが (1)コカイン水を飲み続けるか? (2)水を飲むか? 結果はどう出たか。 Aではすべてのラットがコカイン水を飲み続け、 Bでは75%のラットが自発的に水を飲み、中毒状態を脱した。 おもしろい話だ。 この実験からすると、薬物中毒になるのは薬物そのものの作用でなく 周囲の環境が大きな役割を果たしているということになる。 実験者の皮肉たっぷりの記述を要約すると、 「ほかにましなことがあるラットたちは薬物など選ばない。 人間でもおそらく状況は同じだろう」ということになる。 しかしここで考えてもらいたい。 広く、清潔で、明るく、良い仲間たちがいる環境とはどこだ。 それは楽園だ。「ラット・ランド」は天然にはありえない。 自然は厳しく、仲間はたいてい少なすぎる資源をめぐっていがみあう。 我らが住んでいるのは、独房より悪くはないにしろ、 ラット・ランドほど良くはない。 自然はすべてのものを幸福にはしないものだ。 それでは、楽園を、人間のためのラット・ランドを作るべきだろうか? その試みはある。貧困や差別や競争のない世界を、という声はある。 ある人々は一等賞をつけない徒競走を行い、 誰もがフェアに扱われる教室で子供を育てる。 彼らはなるほど幸福に育つ・・・かもしれない。 だが見よ、人は必ずラット・ランドを出て現実に直面する。 そのとき争いや悲しみ、それを乗り越える技を学ばなかった子は、 彼らはどうするのだろう? 苦しみを知らなかった子は? 答えがたぶん、引きこもりと呼ばれる人々ではないのか。 彼らは、気の毒なことに、幸福と平等の幻想と引き替えに 本当に必要なことを学ぶ機会を奪われたのだ。 人生は与えられない、それは勝ち取らねばならないものだと。 打ちのめされ、泥を噛み、そのうちにもやみがたく世界を愛することを。 その闘争と努力こそが絶えざる、本当の喜びの源泉なのだと。 そしてまた、没落の苦悩と絶望の深さを。 -
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