終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年01月10日(火)

サドンデスな毎日から離れて、実家へ帰ってきた。

1:
実家着が午前1時、電車は終電。
「寝てて」といったのに迎えに来てくれていた母上の車で帰宅。
暖かいお風呂と、ほこほこのお布団。
もぐりこむと湯たんぽが入っている。

「誰かが」「自分のために」「何かを」してくれているというのは、
一人暮らしの中では、およそ信じられないくらいにありえないことだ。
大枚はたいて行く高級旅館でさえ、布団は機械的に並べられるだけだ。
肉親でなければ、誰が湯たんぽなんて入れてくれるだろう。
恩を着せるでもなく、お金を要求するでもない、
こうした愛情は、親が亡くなれば誰が与えてくれるだろう。

こんなことは、「親の愛情」を観念的に求めている間は見えないものだ。
「もっともっと」だとか「兄弟と比べて」だとかいってるあいだは。
こんなありがたいことを、ありがたいと気づく、それだけのことに、
世の荒波にもまれなきゃならないというのは、ある意味不思議だ。


2:
翌朝は親戚にあいさつ回り。
知らないうちに親戚が増えている、なんかちっこいのが!
続いて、犬の散歩。いつもの竹林に行こうとしたらあ。

……ないじゃないの!

造成されていた。造成されていた。
緑の竹林はなく、むき出しの地面と、重機と、へし折られた木と。
うーん、確かに荒れてたけどさ。

木を切るということ、森を伐採するということは、実はえらい大変ことだ。
森は一瞬にして作れない。木は歳月によって大樹となる。
歳月をまるまるはぎとるものだ。そしてそこに住む人間からは、
根こそぎに過去や思い出や、そのほかたくさんのものを。
そういうことをアセスメントできる基準ってないんだよなあ……。


3:
故郷の山河は荒廃し、母の愛のみ変わらざる。

将来的に実家に帰る予定はない。
この家や、親御さんや、この町はどうなるんだろう。
明治、大正、昭和にかけて日本人がやってきたように、私は故郷を捨てる。
でも、故郷を失うこと、帰る家を失うってことは、


それはどういうことなんだろう?



そのへんを、よく、考えないといけないようだ。きちんと。
次に家に帰るときは、も少しゆっくり…三泊四日くらいがいいなあ…。


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