終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年12月23日(金)

 カランシアは冬の斜めの光の中に立っている。谷間の湖面は西方の切れた谷間からこぼれ入るアノールの金の光によって楔の形に輝く。裸木が寂しく震え、木立のあいだを飴色した一匹の鹿がわたっていった。もはやない国のもはやない湖とよく似た風景に、カランシアは微笑する。
「――」
 やがて星々が上るだろうとカランシアは考える。神々の鎌ヴァラキアカ、終わりの日の徴メネルマカールがあらわれ、天を廻るだろうと。そう考えて胸かきむしられるような想いに襲われた。マンドスの館に赴く日が遠くないのはわかっていた。踵を接してケレゴルムとクルフィンからの使者は訪れ、メネグロス襲撃の日は間近いことを報せている。そして、心の内なる預言の力は、その日に己が斃れるであろうと間違いようもなく告げている。
「カランシア」
 振り返れば、木立を隔てて立っているのはマグロール。輝く髪は光に透け赤く燃えている。まとっているのは白銀の鎧だ。歩み来たれば描かれた七つ星はさながら真昼の星と輝きわたる。カランシアは悲傷に胸が疼いた。
 いぶかしむようなマグロールの囁きを聞き、カランシアは静かに笑う。
「終わりがまいりました。終わりが。どれほどこの時を待ったことか」
 手をのばして、兄の肩に置く。
「この戦いから、かつてのサルゲリオンの領主は帰りませぬ。然り、もはやサルゲリオンはなくヘレヴォルンもなくその畔に光り輝いた星の塔もない。ならばその領主もまた去るのは道理。まことに運命の掟の残酷さよ、この地で得たすべてを失うまでは我らは去りえぬ」
 穏やかな悲しみに満ちた抱擁の中で、カランシアは微笑した。五百年の彼方から、この兄は自分を行かせまいとしてきた。だが今はすでにこの兄自身、生きることに倦んでいる。しかしカランシアは知っている。ありしことどもの一切を歌人なるがゆえにマグロールはなにひとつ失いえず、ゆえに安息はない。悲傷と慙愧を抱いて永劫の軌道を歩むよりほかにない。
「マグロール、兄上」
 カランシアは兄の首を抱いた。雪が降っている。黄金のごとくきらめいて。永劫はどれほど長いだろう。こうした風景を見るごとに、マグロールはどれほど悲しいだろう。だが時は来たのだ。終わりのときが。
 そしてこの心ははやっている。死への方へ、滅びの方へと。



 横たわるヘレヴォルンの暗い水面は、西の谷間からこぼれ入るアノールの残照によって楔の形に輝いている。裸木が寂しく震え、木立のあいだを亡霊のように鹿が渡っていった。カランシアは冬の湖畔に立っている。
 それともそこにはいないのだろうか? マグロールにはわからない。あの寂しい、孤独でしかも死ぬこと以外は望まぬ眼差しはもうとうに喪われた。少なくともそのはずだった。とうに。ああだがそれはいつのことだ?
 百年も経たろうか? 千年か? 大地は隆起し、王国は滅びまた興った。ヘレヴォルンもサルゲリオンももはやない。星の高殿も。だがそれは昨日のことのようにさえ思われる。そうだ、ほんの昨日のことではなかったか?
 あの戦い、灰色エルフを殺したあの殺戮、怒りの戦いの大音響。この手を焼いた宝玉の仮借ないかがやきさえ夢ではなかったか。いま立っているのは影深いヘレヴォルンのほとりではないのか。いましがたヒムリングを出て、日暮れ行こうとする野を白いエルフ馬で横切り、山あいの険阻な道をさえも一息に登りきった、そうした夕べのひとつではないのか。
 カランシアが湖畔に立っている。夜さながら黒い長い髪は光の中で輝いている。灰色の瞳は彼方に擲たれている。失うまいとする以前に、とマグロールはふと思い出した。失うまいとする以前に、わたしはあれを愛していた。あのアマンの日々の中で。そしてマグロールは歩き出した。
 ノルドの最後の伶人の行方は、それより杳として知れない。



花冠をかぶってにこにこしている二人が書きたい…!
青年マグロールとお子様カランシアの幸せな話が書きたい…!
しかしあれだ、エルダールならではだな! 人間じゃぁイヤだ。




 金の木ラウレリンの花咲く季節に、マグロールとカランシアは連れ立ってティリオンを出て行った。大気に満ちるかぐわしい花の香りは変わらず、だが都を遠く離れるに従って、空は明るい青から次第に群青に変わり、やがてその彼方にヴァルダの星々をのぞかせた。
 星空の下を、白い花冠を頂いたマグロールは銀の竪琴を爪弾き豊かな声で歌いつつ歩み、幼いカランシアは長い袖を翻して花のうちの一つの花のように舞いつつ歩んだ。見交わす視線に微笑を交えて。
「にいさま、少し、おやすみしましょう」
 どこまでも小さな金色の花が咲き乱れる広い丘で、小さなカランシアが、息を弾ませて歩みを止めた。マグロールは静かに笑って竪琴を置く。
「カランシア、私たちはずいぶんと遠くまで来たのだね」
 喜んで、傍らに身を寄せてきた子供の黒髪を、マグロールは愛撫した。上気して汗ばんだ頬と、暖かく湿った髪。伸びきらぬ背丈ながらも闊達な四番目の小さな弟を、とりわけマグロールは愛した。
「本当に、にいさま。町があんなにも遠くに明るく燃えているようです。少し離れて見えるのはマハタンおじいさまの工房で、その向こう側には父様のお屋敷があります。ほら七つ星と冠の紋章がかかって」
「ああ。それに、ごらん。山々の頂にタニクウェティル、長上王の居ます高御座。彼方にはほの光るのはローリエン、野をオロメ様の軍勢が行く」
「ほんとうに」
 感嘆してカランシアはマグロールの膝を枕にそっと仰向けに横たわる。マグロールは額にもつれた髪をのけてやった。しかし半ばもせぬうちに、その手は甘える子供の手に捕われて、鼓動を囁く心臓に載せられた。
 ふいにカランシアは頭上を見上げ、声を高くした。
「ああ、にいさま。空が輝きわたっています」
「ヴァルダの星々だ。そうか。ティリオンでは、二本の木が近すぎ、空が明るすぎてこれほどよくは見えないな」
「ええ。ええ、深い水の底に物思いする町が何万と沈んでいるようです」
 マグロールは弟の頬を撫でた。畏怖とまた壮大な美に接する喜びとに、カランシアの鼓動ははやく、吐息は乱れている。
「あれはなんという星ですか、三ツ星の横にあんなに輝いているのは」
「あれはメネルマカール」
「それに、かあさまの髪飾りのような形をしている七つ星」
「それはヴァラキアカ。その横に光っているのがソロヌーメ。おまえに星の名をみんな教えてやろう。そのいわれも教えてやろう。我らが星々の民と呼ばれるいわれもみんな。だがいまは少し、お眠り」
「ええ。でも…」
「なんだね?」
 カランシアの瞳が瞬きした。小さな手が伸びてきて、マグロールの髪の端を掴む。引かれるままに身をかがめて、マグロールは笑った。
「うたってくださいませ」
 囁かれたちいさな望みにはなおいっそう。だがいたずら心がまさって、マグロールは小さくあまく問う。
「歌人へのほうびは?」
「明日も花冠を作ってさしあげます。きっとです」
「わたしの好きな白い花で?」
「きっとそうします」
「それでは…」
 マグロールはたてごとを引き寄せる。天の星も、地をしろしめすヴァラもヴァエリアも眠らせるような、子守唄が静かに流れ出して丘に満ちた。





で、書いた。カランシアがかわいければなんでもいーんだ。





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