終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年12月01日(木)

1:
オルガンが「ぷーかぷーか」言っているように聞こえるのは気のせいか。

いや、グールドの『フーガの技法』(1962)ですけどね。
DVDで見た限り、グールドは例のちっこい椅子に座って、
足は組んでほとんどつっかえ棒のようにして弾いていた。
ということは、足もめいっぱい使って演奏するオルガンでは、
普段とは違う姿勢をとっているだろうってことだ。
本職のオルガン奏者の演奏と違って、華がないっていうか…。

オルガンの次にピアノで弾いた同じ曲が入ってるからなおそう思う。
こちらは例のハミングつきで、かなり好き勝手に弾いている。
どれくらい好き勝手かというとですね、えーと、
オルガンでは2分45秒で弾いてたコントラプンクトゥス1を、
ピアノでは4分51秒で弾いてたりするわけだ。
最初ぼうっとして聞いてたとき、同じ曲とは気づきませんでしたヨ。
まあ、この時代の譜面には、速さの指定がないからね。

時々ジャズっぽかったり。
つぶやくようだったり。
子供に話しかけるようだったり。
晴れた日の庭みたいだったり。
あ、このフォルテ、とてもきれい。

音楽ってさ、素敵だ。


2:
速度が一つの本質なのだ。生起の速度が。
音楽の生じる速度が、生じた音楽の様態を決める。
それはどういうことだ、考えろ。どういうことだ。

絵画でも建築でも文学でも、速度というものは、
隠喩として、あるいは呼び起こされるべきイメージとしてしか表出しない。
絵画ではタッチ、文学では音韻、建築なら空間構成で。
それは間接的で、より結果である。では、音楽では?
音楽では、起す方法と起きるものが重なり合う。同一なのだ。
経過がそのまま結果であるというのはどういうことだ。

演劇のような再現による神話の体験化の問題なのか?
速度、継時性、連続、演者による呼び起こしによる現実化。
過ぎ去ることを本質とするもの、それらそのものであるもの。

音楽とはなんだろう?
正しい比喩がいる、正しい比喩が。理解の技法が。
どうしたって弾かなきゃならないのか。なんて遠い道のりだ。

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