終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年11月28日(月)

 悲嘆に満ちたフーガ。葬列の歩みのようなアンダンテのうちに、美しいが胸に染み入るような嘆きの主題を繰り返す。かつて一つの鍵盤が、これほど深い悲しみを歌い出したことはないだろうとさえ思われた。
「…おや?」
 最後の一つの音をゆっくりと大気に溶かしクラヴィコードから顔を上げた老人は、驚いたように瞬きした。それは風変わりな老人で、背丈はひどく小さいのに、髭も髪も白く長く見事だった。星霜を重ねた顔の中の見開いた瞳は青く明るく、威厳のある顔立ちだとさえいえるのに、その印象は明るい日に鳴り渡る鐘の音のように晴れやかで楽しげだ。つい今しがたまで、あれほど悲しげな音楽を奏でていたとは思われなかった。
「こんなに若いお客人とは珍しいのぅ」
 ククールは首筋あたりをかいて、後ろのゼシカを助けを求めるように見たが、赤毛の従姉妹はというと、村まで送るといってさんざん急きたてて館を出たくせに、およそ見当はずれな町まで連れ回されたことでさすがに腹を立てているらしく、ツンと向こうを見たままだ。
「えーと…。あの、あんた、オディロさん?」
 老人はこっくりと深く頷いた。
「そうじゃ。オディロじゃよ」
「えーと、オルガニストの?」
 ほっほ、とオディロが笑って、厳しさを含んだ顔はくしゃりと崩れた。思わず釣り込まれてしまうような笑いに、ククールはなんとはなしに心穏やかになるように思う。このじいさんは、と、ククールは考える。このじいさんは、なんだか、回りまであったかくなるようだ。
「昔の話だのう。若い者にはもう負けてもいい年じゃで」
 老オルガニストはよいしょと椅子を降り、ククールを見上げて言った。
「さて、ここは冷える。せっかくこの老人を訪ねて来てくれたのじゃ。あちらへ行って、お茶にしようと思うのじゃが、ご一緒にいかがかな? あちらのお嬢さんもお誘いして」
「お世話ンなります」
 格式ばかり教えられた儀礼を忘れて、ククールは素直に頭を下げていた。オディロというこの老人には、そうしたものを無にして、相手に遠慮や警戒を起させない何かがあるのだろうかと思ったのは、旧家の娘だけあって堅いしつけを受けているはずのゼシカが、躊躇ったりぎこちなくなることもなく、お茶の誘いに素直に応じるのを見てからだ。
 老人の住まいは立派でも大きくもなかったが、雑然としながらもどこか居心地がよかった。ククールは古ぼけたソファにゼシカと並んで腰掛け、先ほど玄関で応対した召使が持ってきたポットから、老人がお茶を注ぐのを待ちながら、部屋の中を眺めた。壁には田園風景の絵といくつかのメダイユ、何かの文書。書棚には楽譜と書物と古いが上等の金色した置時計。書き物机の上には五線譜とインクの瓶。あの塔の部屋とどこかしら似ているような気がして、ツンと鼻の奥が熱くなりかけるのを慌ててやりすごした。
「どうぞ、お嬢さん」
「ゼシカです、ありがとうございます」
 ゼシカは差し出されたカップを受け取り、そうそう身内以外の誰かに見せないとびきりの笑顔を浮かべている。オディロもまたにこりと笑った。
「さて、そちらの…あー」
「ククールです」
「そう、ククールじゃな。どうぞ」
「あ、サンキュ…じゃない。えーと、あり、がとうございます」
 カップからは暖かく薫り高い湯気が立ち上った。その心地いい香りを吸い込んで、ククールは肩をすとんと落とし、そのときふいに、自分が長いあいだ、体をこわばらせていたように思えた。
「よういらっしたのう、お二人とも」
 オディロが言った。それからその青い明るい目がくるっと動いてククールを見つめ、興味深そうにじっと見た。
「こんな所までお尋ねいただいたからには、どうも何かいわれがありそうにお見受けするのじゃが。差し支えなければ、用向きを伺いますぞ」

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音楽家兄?なんだかよくわからないことに。


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