- 2005年11月26日(土) 連弾 マルチェロは不機嫌に、台の上の譜面を指さして言った。 「おまえは字が読めんのか? なら私が代わりに読んでやる。『二台のピアノのための練習曲』。いいか、二台のピアノだ。一台じゃない」 イヤミたっぷりの言葉をククールはたいして気にもせずに聞き流し、白鍵を叩いてポーンと一つ音を響かせた。 「いいじゃないか、あんたんトコにピアノは一台きりだし、幸いこの曲はそんなにややこしくない。ちょっと待って、俺、簡単な方やるから」 マルチェロは無言で眉をしかめた。 「というわけで、もうちょっとつめてくれ」 言うなりぐいぐいと押してきたククールに、マルチェロは更に渋面を深くしてわずかばかり場所を譲ってやった。どう贔屓目に見ても子どものようにとしか言いようがないほど夢中な様子でククールは鼻歌でハミングしながら譜面の音を追っている。こうなればもう自分の言うことなど聞かないことはわかりきっていたから、マルチェロは諦めて、ククールが曲の形を飲み込むのを待った。 「ヨシ、いいぜ、マルチェロ。練習! 俺、第一な」 「……」 おまえはさっき簡単な方をやると言わなかったかと一つこづきたくなるのをこらえて、マルチェロはククールの手に重ねるよう鍵盤に手を置いた。 「アンダンテ、四分の四拍子。いくぜ、イチ、ニ、サン…」 ククールの手が明るいハ長調の旋律を引き出す。追うようにマルチェロがその旋律を模倣する。旋律は歌い交わし、手は重なり追い越し追い越され、ときにほとんど絡まるよう。それでも機嫌よく第一楽章の三分の一ほど進んだが、とうとう途中でごっちゃになった。 「ちょ、あんた、頭下げてくれないと、俺が低音部に届かないじゃないか」 「バカを言うな、今のはおまえが私につっかかってくるから…」 マルチェロがみなまで言わないうちにククールが笑い出した。それからあれこれとややこしい取り決めがあって、二人はまた揃って鍵盤に向かった。 「いいか、忘れるなよ、低音部は私が弾く。おまえは…」 「ハイハイ、じゃ、行くぜ」 「よし――…」 ピアノが歌い始めた。さすがに流麗にとはいかなかったが、四本の手が重なり補い合って、一つの音楽を形作っていく。二人の手から別々に引きだされて生まれた和音は一つの手になるものかとさえ思われるほど自然でなめらかで美しく、時にからまりあい互いをかいくぐりながらつむがれる旋律は不思議な生気に満ちている。それでもマルチェロはどこまで進めるものか疑ってはいたが、ククールはそれなりに奮闘し、足らぬところはマルチェロ自身が足して第一楽章の最後の和音が鳴った。 「…」 その響きを豊かに残して、ククールはそっと指を浮かせた。 「できるものだな」 マルチェロは呟いた。この不思議な連弾は、とかく鍵盤上を自身の領土として見がちな演奏者の心を打つだけの魅力を感じさせた。早いトリルや、劇的な転調の瞬間が寸分のすきもなく決まればどれほど心地いいだろうかと思い、マルチェロは息をついた。その横でククールは顔を上げる。その頬は上気して明るく、目はぼんやりとしている。マルチェロはけげんに眉を寄せた。 「…ククール、どうした?」 カゼか、と、続ける前にククールが言った。 「あーもう、俺、ドキドキした。あんたの指と俺の指がさー、先ンとこだけつつっと触れたり、肩抱かれるみたいだったり、あんたの息が俺の耳にかかったりさー」 「このバカたれが…」 目をきらきらさせて語るククールの横で、マルチェロはもう二度とこんな連弾をするまいと心に誓ったのであった。 -------------------------------------- 仲良し音楽家兄弟。あれこれバレるまえ。 一つピアノで連弾は、目撃者がいるのでできないこともないようだ。 -
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