終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年11月25日(金)

 老いた家令は行く手をふさがれてはっと顔を上げ、そこにククールを見出して青ざめた。籠を抱えたままずるずると後ずさる老人ごしにククールは日の下に細く影を落とす塔を見晴るかし、それから冷ややかに言った。
「知っているはずだな、あんたは」
「私めは…」
「なんで親父はあいつをあそこに閉じ込めてる? あいつの曲を―」
 ククールは言葉を切った。頬の傷が痛んだせいではない。ずっと昔から、舞台の上でしか姿を見ない父親の、だがそのときばかり奏でられる音楽の溢れるばかり心を打つ旋律に陶酔し、甘い和音に心打たれ、ときには涙さえ落として聞き入ったことを思い出したせいだ。どれほど放縦で子供のことも妻のことも見向きもしない父親であっても、その音楽のためだけに尊敬の心を失ったことはなかったというのに。ククールは唇を噛んだ。あのエチュード、あのカノン、あのパルティータ、パヴァーヌ。心打たれたそれらすべてが嘘かと思えば内臓のよぎれるような苦痛が湧き上がってくる。
「あいつの曲を、盗んでいるんだ?」
「坊っちゃま…」
 あからさまな言葉に老人は、不安気に周囲を見回した。ククールは前に出た。いらだちと怒りと、それから父親に対する手痛い失望と。
「答えろ。いつからだ? いつからあいつは塔に閉じ込められてる?」
「いくら坊っちゃまでも、そればかりは…」
「ふざけるな!」
 ククールは手を伸ばして老人の胸倉をつかみ、乱暴に揺すぶった。取り落とされた籠が石畳の上を転がり、老人はよろめいてがたがたと震え始める。
「あいつを閉じ込めて、あいつの曲を盗んで、盗んで…親父は…」
 老人の喉がかすれた高い悲鳴を上げた。ククールは我に返り、家令を締め上げていた手を離すと、後ずさった。解放されてそのまましりもちをついた老人は荒い息をして青ざめている。
「ハ…」
 ククールはかすれた笑いを一音だけ落として顔を背けた。なるほどこの老人には何一つ言うことはできまい。召使われる身の上で、主人の秘密を漏らせば地下室で殺されてもおかしくはない。ククールは惨めな気分に沈みつつ、手を振った。
「失せろ。もういい。行け。行ってしまえ!」
 最後の言葉は悲鳴のように響いた。老人はそれでもしばらく呆然としていたが、やがて素早く身を起すと、声もなく逃げ去った。後には置き去りの子供のように籠が一つ残されているだけだ。
「ちくしょう…」
 ククールは呟いた。老人をおどしつけた自責と、それでもなぜ吐かせるまで問い詰めなかったのかという忸怩たる念とがせめぎあって、いらだちのままに籠を蹴り飛ばす。すると汚れ物と思しい布地がいくらか散り、いよいよククールを惨めにさせた。それでもそこに放置しておくわけにもいかない。落ちた布地を乱暴に拾い上げると、かすかに記憶にある香りが鼻腔に触れた。かすかに、だが間違いようもなく。我知らず、膝をついたままくしゃくしゃのシャツを顔に押し当てて声をかみ殺す。
 もう幾日、会っていないのか。思い出される記憶はその音楽でありチェンバロの黒い鍵盤の上を走る白い指であり、そこから情熱的に歌いだされる豊かな歌であり、また幾度も交わした口付けの中で盗み見た柔らかな表情だ。触れる吐息の感触さえ鮮やかに。
「…マルチェロ」
 今もまだマルチェロがいるはずの塔を見上げてククールはきつく唇を噛んだ。結びもしない髪は曇った空から吹き寄せるうそ寒い風に乱れる。そこに見えているのに、そこにいるに違いないのに、どうしてこれほど遠い。だがそこに行くことができないことも確かであったから、ククールは黙ってシャツを籠に詰めて立ち上がった。
 そのとき、カサリと音がして、風に揺れる紙片がある。切り裂かれた封、書かれているのは父親の文字だ。ククールは文書を拾い上げた。
「…? なんだ。二重奏組曲の評判よく…ヴァイオリン…オルガン…」
 そこまで読んでククールはそれがマルチェロへあてられたものだと気づいた。おおかた、伝言がすんだあとは焼き捨てるために家礼が再び受け取ることになってでもいるのだろう。そのまま籠に突っ込もうとしてやめる。
「M、は、小康状態? オディロ…誰だっけ…」
 ククールは思い当たる。確か、以前、東部の町で評判の高かった老オルガニストがそんな名前だった。だが、それとマルチェロに何の関係があるのか…。だがそれも手がかりには違いなかった。ククールは手紙を籠に押し込み、塔に背を向けて歩き始めた。

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音楽家兄でした。
ククールがやる気です。でもヘタレです。デフォルトですからむしろ。
広島弁にしたらどーなるかなァ(ウフフ)

ククールはやる気ですが、だめです、体調が最悪です。
でもフルートのためのソナタ集(JSバッハ)が美しい。
フラウト・トラヴェルソ好きだ! なんかもーとろけそう…ハァハァ


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