終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年11月10日(木)

「ここは暗いな、息が苦しいよ」
「だが私はいつもここにいたのだ。文句を言うな。こらえろ」
「知っているよ。ああ、あの窓は開かないのか? あの窓は?」
「はめ殺しの窓だ、開かぬ」
「はめ殺しの窓? あんたのようだな」
「私か? 私は飼い殺しだ。殺しているのはおまえたち」
「今さらさ」
「今さらだ」
「それに…」
「それに?」
「あんたは少しも死んでいないじゃないか」
「私が?」
「そうだ、あんたの歌、あんたの音楽は宮廷に響き、町に村に響いている。あんたの音を多くのものが聞く。さあどうだ、あんたはそれでも死んでいるというのか?」
「だがそれが私の歌、私の音楽だと誰が知る? 憎むべきおまえの父親の名を人々は称えている。私の名前は知られず、私のために花冠は編まれない。これは幸いとは言われまいな?」
「だがそれは問題か? 生きているのはあんたの歌、あんたの音楽だ。それ以上の何を望む? 空しい栄冠は少しもあんたを幸福になどしないだろう」
「それは得てから考えることだ」
「断言してもいい、あんたは今より幸せになんてなれない」
「それは私は幸福だということか? 縛られ自由もなく太陽を仰ぐこともないこの身の上が? そう言いたいのか?」
「違うとも、あんたはどこに行っても不幸なんだってことさ。玉座に上ろうと、栄光の最中にあろうと、苦しみは陰のようにあんたに取り付いて離れやしない。それはあんた自身のものだからさ。何一つ憂うべきことがなくなっても、あんたは不幸だよ」
「愚かなことを。圧制者の言いそうなことだ。看守の言いそうな」
「考えてみろ、看守と囚人はどちらが幸福だ? 不幸だ? 圧制者はほんとうに幸福か? 一つのたとえ話をしてやろう」
「くだらぬ」
「いいから聞けよ。一匹の悪魔がいた。この悪魔はある不幸な男をそそのかして、世界を手に入れることが幸福になる道だと説きつけた。男は悪魔の言うままにに対する大戦争を仕掛け、あらゆる不利にもかかわらず、知恵と悪魔の力で勝ち抜いて世界を手に入れた。男は高い玉座にのぼり、誇り高く世界を統治した。反対するものは殺した。従わないものも殺した。そのうち、だれかれ問わず殺しだした。だって、生きていればいつ反抗するか知れなかったからだ。そうして誰も彼も死に絶えた。男はたった一人残され、どうしようもなく不幸だった。世界中に誰一人男をおびやかすものがいなくなったのに不幸だった。男は叫んだ、『今こそ知ったぞ、私の不幸の基は私であった』。それで男は最後に自分を殺して不幸にカタをつけた。悪魔は誰もいなくなった王国の緑の丘に座ってしばらく泣いた。悪魔さえ泣いたんだ、男の度し難い狂気と不幸のために」
「聞き終わってなおさら私は言うぞ、くだらぬ。生涯の最後にあたってさえおまえはろくなことを言わぬとな。私はやめる気はない、お前は私を止めることはできないぞ」
「そうだ、それでいい。やれよ。やってみなけりゃこの話の意味はわからないから」
「おまえにはわかるというのか?」
「そうだ、わかるよ。俺にはわかる。あんたを見ているからね。さあ、音楽をやってくれ。頼むから。俺のためにあんたの音楽を弾いてくれ」
「愚か者め。よかろう、おまえの下らぬ物語の余韻を消すために弾いてやろう。悪魔の泣き声のような歌をこのチェロに歌わせよう」
「ありがとう」
「何と言った?」
「ありがとう、と言ったんだよ、兄貴。俺は幸福だ、これまでになく幸福だ。取り返しがつかないほどに幸福なんだよ」
「愚か者め、愚か者め。横たわっていろ。そんなにわき腹から血を流して何を言うのだ。おまえはもう死ぬのだ」
「本当だ。さあ、俺の血がすっかり流れてしまったら、あんたは扉を開いて出て行くがいい。だけどそれまでは、俺のために弾いてくれ。あんたの歌、あんたの魂で包んでくれ。俺はとても幸福なんだ」
「奇妙なことだ、奇妙なことだ。おまえはわかるか? 私は一つの言葉を言うまいとこらえている。その言葉を口にすれば私は身の破滅だ」
「なら言うな。ああ、愛している。俺はあんたを愛している。幸福だ。もうこの幸福は取り返しがつかない。お別れを言うぜ、さようなら。さようなら。永遠に、永遠にだ」
「死ぬな。ああ、死ぬな。この言葉は口にしてはならない。だがもう口にしてしまった。これは本心だ。死ぬな。おまえが消え去れば私は私の悪魔とただ二人残される。私の悪意、私の憎しみ、私の孤独、私の不幸と! 死ぬな。ただ一つの願いだ、聞いてくれ、聞いて。ああ、もうおまえは死んだ。今さら遅いか、ああ、おまえの手はこんなに冷たい。私が憎んでいたおまえの血はもうすっかり流れてしまった。待て、まだ息はある。さあ、聞け。おまえのための歌を歌おう。待て、もう一言だけ。愛している。聞こえるか、さあ、聞け。この心を地の底まで持って行け。愛している。だめだ、もう死んでいる。死んでしまった!」





…セリフだけで状況まで説明しきるというのは、
いつでも魅力的な試みではある。
うまくいったためしはないんだが。

この小文のビミョー設定は、
 父親は音楽家で、兄は長男でやはり音楽の才能豊かだが、嫡男の弟が生まれたために疎まれ遠ざけられる。それで十年ほどたったころ、スランプに陥った父親は、ひょんなことで気鋭の作曲家兼演奏家に育っている兄を見つけると、母親の看護と身の安全をエサに兄を軟禁。兄の作る曲を自作のものとして世に出し、再び脚光を浴びる。
 一方、大人になった弟は父親を嫌いつつ、父親の音楽(実は兄の)に対しては尊敬の念を抱いていたが、ひょんなことから軟禁されている兄を見つけてしまう。事情を知った弟は、兄を自由にするよう父にかけあうが、言い争ううちに父親を殺し、自らも瀕死の重傷を負う。
 傷を負った弟は兄が閉じ込められている塔までようようやってきて、首枷を外すカギを兄に渡し、そのまま死ぬ。兄は枷を外し、束の間自由を味わうが、扉を出る前に、父親の放った刺客の手にかかって死ぬ。

 …要するに、みんな死んでまッ平ら。
 音楽家兄の話、こんなんになったら…誰も読まないな!


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