終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年11月07日(月)

この音楽は、聞こえるものと聞こえないものとでできている。
フーガは残像と予感から構成され、リズムは永遠から永遠をつなぎ渡す。
この音楽は暗示、隠喩、遥かな彼方を指し示すひとつの指。
久遠の暗がりと無窮の広がりをこの心に敷き広げてゆく。


『無伴奏チェロ組曲5番』(JSバッハ)


 クラヴィーアを前に背筋を伸ばして座るゼバスティアンは、静かな眼差しで王を見上げた。その手指はまだ離れがたく鍵に置かれている。王はふと、ゼバスティアンに語りかければその指が豊かな和音でもって答えを返すのではないかと考えた。そう考えて、愚かなことだと払いのける。
「楽長、神かけて正直に答えてほしい」
 クラヴィーアに片手を置いて、感情を抑えて話しかける。
「神かけて、また陛下への忠誠にかけて」
 誓いの言葉は先ほどまで空間を彩っていた歌に比してあまりに平板だ。王はかすかな混乱を覚えた。ここに座っている男は、いったいあの音楽を、王たる彼の固有の主題を余すところなくまた王自身知りえなかったであろう深みまでも明示して奏でたというのだろうか。そのようなことがありうるか。神でも天使でもなく、この老いた男、ただその目だけが老いた男が王たる彼の心の真実それそのものを、ただわずかな音の連なりによって悟りうるというのか。そんなことは、と、王は考える。そんなことは不可能だ。
 なんでもない、と言うより先に、涼しい和音が空間を過ぎった。
「陛下」
 そう語りかけたのは、音であったのか、声であったのか。
「ご案じなさいますな。誰にも語りはしませぬ。もとより語りうる方法で知ったのではございませぬゆえ、そのようなことは不可能にございます」
 息を吸い、息を吐くほどのフレーズ。だがその挙措は美神のものだ。黒い鍵盤の上を素早い指が走ってゆく。かすかに光るのは他国の伯爵の印象指輪。つまりはこの楽長に対してやはり己のごとく敬慕の心を抱いた貴族がいたということだ。その指輪を楽長は身に帯びている。王は唐突に兆した胸狭まる思いに顔を背けた。
「皆を呼びいれよう。心配させてはならぬ」
「――陛下」
 カデンツァ、速い指の動き。そして音色が止んだ。ゼバスティアンは立ち上がる。天井に壁に貼られた鏡がその姿を映し出した。
「陛下の下さった主題を、あらゆる形に展開した一そろいの音楽を作ることをお許しくださいませ。おそらくそれらをお聞きになったそのときこそ、陛下はご自身について悟られることがございましょう。いまお聞かせしたのは、わずかな断片に過ぎませぬ」
 王は少し考え、それから微笑してゼバスティアンに向き直った。
「嘉納すると約束しよう、楽長」
 差し出した手は丁重に取られた。儀礼にしたがって持ち上げられ―
「指に接吻することを許そう」
 そのまま降ろされようとしていた手が緩やかに留まり、指先にほんのわずか、暖かな感触が触れた。王はかすかに苦痛めいたものを覚えて眉間に皺を寄せ、次いで、礼儀正しく離された手を打ちあわせた。
「皆のもの、入れ!」
 渦巻く黄金の取っ手が押されて扉が開き、王は黙ってそちらを向いた。








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捏造部分はたくさんありすぎてアレだ。
バッハじゃないから。ええ。合致するのは偶然だから(笑)
ところでロストポーヴィッチはモダン楽器のチェロな人なんだが、
スゲーですよ。ゴイスーですよ。じいさん!


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