- 2005年11月06日(日) 『分解された男』(アルフレッド・ベスター著) 実に久しぶりに小説を、それもSF小説を読んだ。ベスターといえばテレポーテーションを登場させた『虎よ!虎よ!』で名高いが、これが初読になる。実際、SF好きと言いつつ私の好みは狭いものだ。海外ではアイザック・アジモフ、ロバート・ハインライン、アーサー・C・クラーク、国内では星新一、小松左京―この程度だ。まっとうに読んでいるといえるのはアジモフくらいだろうか? ロボットは出てきてもエスパーは出てこないあたりが私の地味な心性を反映しているといえなくもない。 さて、感想である。エスパーがギルドを作り、通常の人間と共存しているあたりはそれらしく書き込まれている。図解的な会話がきわめてユニークである。その一方で、ベン・ライク周辺は極めて抽象的で具体的な描写が少なく、かつその行動もほとんど現実感を欠いていて、シュルレアリスム的な戯画ではないかとさえ思われるほどである。これが、ともすれば古臭くなりがちな物語を救っている。1953年の作品に現代性を求めるのは筋違いかもしれない。とはいえ、この作品はやはり古臭いし、“ヒーロー”役パウエルの最後のオチもわかりにくい。つまり、現代の読者ならフツーに「そんなことする必要はないんじゃないのか」とか、「エスパーギルドって実は危険だろう」とかいう首の傾げ方をしてしまう。それを救っているのがベン周辺をすっぽりと覆っている前述の抽象性である。虚空に浮いた尖ったガラスの破片のような印象が重なり重なって、寓意的な像を結び、この輪の中では、物語は十分以上に現実性、説得性を帯びる。それは必ずしもアジモフのあの地に足の着いたような現実性ではないが、ある仕方で読者の腑に落ちるものだ。まァ、作者には不本意かもしれないが。 -------------------------------------------------- 祈りだ。彼の右手は豊かな強弱をもって弓を動かしている。彼の左手はおよそ年齢にそぐわない機敏さでチェロの弦を押さえ、正確な音階と、音楽に陰影と活気を与える微細なビブラートを与えている。生まれたゆたい消え行く音色に歌を見出し、自ずからあふれ出る祈りを見出すのは、水のように澄み渡った意識の奥底から見上げる目だ。 彼は疑ったことがない。楽譜は深い思想と厳密な法則に則った伝達の意思よりなる。そして音楽が汲むことのできるものは無限だ。あらゆる嘆き、あらゆる悲しみ、あらゆる憂いは、たとえばこの手の内の弓と弦によって声を得る。彼は演奏の最中に、人の思いが世界に、あるいは神に向かって放たれているという感慨を、何の屈託もなく感じることがある。それは、確かにそうしばしばあることではないが、だが十分なほどにはよくあることだ。 ニ短調の2番の三つの音、レ、ファ、ラ。幾度も形を変えてあらわれるこの音色は、なんと多くの悲しみを解き放ち、この千年の祈りの家にひとつながりの響きとして飛び去らせてくれることだろう。どんな絵画もどんな文学もこの力を手に入れることはできない。つまり、経時的な減衰や展開や興隆や、ましてや消尽を。だからこそ彼は音楽に生涯を捧げた。 十字架の形をした教会は暗く、灯りは手元の小さな炎ひとつ。柱頭のマリア、礼拝壇のキリスト、ステンドグラスのあまたの聖人たちは暗がりにあって音楽は続いてく。ああ、私は祈っている、と、彼は考えた。 -
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