終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年11月05日(土)

レ、ファ、ラの3つの音が二短調の帯びる愁いを告げる。
プレリュードから悲しみは深まり、私は散り透いた梢を見上げる思い。
それは確かに悲傷だが、そのうちに透明で正しい軌道を持っている。
セロ弾きのゴーシュはある夜、こんな音楽を識らなかっただろうか。


『無伴奏チェロ組曲2番』(JSバッハ)


 夕暮れに男は教会に向けて歩いて行く。鳥たちは彼の頭上たかく、鳴き交わしながらねぐらへ向けて飛んでゆく。石垣が牧草地の真ん中を横切って、枯れ色の野に幾何学的なアクセントを与えている。彼は小高い丘を登り、そこにひっそりと影となってうずくまる教会に近づきながら、世界が静寂に包まれたらこの音楽を演奏しようと思う。あの悲しい三つの音を弾きはじめることを思うと、深い喜びと憂いが身に沿うた。そうした感情は、もはや若い時代のように彼を押さえつけはしない。彼が生きた歳月は実り多く、日々の結実の一つには穏やかな、深い諦観があったからだ。憂いと喜びとを年来の友のように連れて、彼は丘の小道を上ってゆく。空は暮れ色になずんだ。

 フリギア旋法のような凍麗なアーチが、素朴な柱頭装飾を頂く円柱に支えられて教会の内陣を支えている。彼は祭壇近くに置いた椅子に座り、チェロを身に引き寄せた。灯りはといえば手元の小さな燭台ばかり。十字架の形をした教会は闇に沈み、空気は希薄な硝子のように小揺るぎもしない。なぜこの場所で、この曲を弾こうと思ったのかを彼は思い出す。どんな近代的なホールにもない深い憂いと喜びが、千年の日々の祈りが積み重ねられて結晶したようなこの古びた、この石造りの堂宇の生み出す反響にはある。それはあの三つの音から始まる音楽とよく似ている。この場所でこそ、と、男は思う。この場所でこそ、私はほんとうにあの音楽を響かせることができる。


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