終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年10月19日(水)

 四声からなる合唱隊の沈黙するなか、フラウト・トラヴェルソがキリエを歌い出す。夜を守る蝋燭の不安な炎のようにためらいがちに。だがやがてアルトが、ソプラノが、テノールが、バスが、色彩のごとく春のごとくまた太陽のごとく輝かしく次々と目覚めていく。

「ロ短調ミサ曲」(JSバッハ)

 マタイを少なくとも百回は聞き、関係書物を十冊ほど読んだが、やっぱりさっぱりわからないので、バッハのカンタータを全部聞く作戦に転向した。何年かかるか知らないが、レオンハルト指揮の古楽器演奏で聞きたい。
 ミサ曲について簡単におさらいをしておきたい。まず、ミサ曲とは、カトリックの典礼(ミサ)の際に演奏される声楽曲のことである。どの作曲家のものであろうとも、歌詞は基本的に同じものを用いる。
 その構成は、『キリエ』(求憐誦)、『グローリア』(栄光頌、天には神に栄光)、『クレド』(信経、信仰宣言)、『サンクトゥス』(三聖頌、感謝の賛歌)、『アニュス・デイ』(神羔頌、神の子羊)―の五部からなる。先に述べたように歌詞は定まっている。
 キリエについて言うなら、ギリシア語のたった二つの言葉の繰り返しからなり、意味は「主よ憐れみたまえ、キリストよ憐れみたまえ」と簡潔である。グローリアとクレドはより複雑で長い文句だが、サンクトゥス、ベネディクトス、アニュス・デイはいずれも短い。これを音楽としていかに豊かに表現しきるかが作曲家の課題となってくる。
 次に「ロ短調ミサ曲」についてであるが、現在までに研究家の見解は、バッハ最後の作品ということで一致をみているようである。もっとも他のカンタータの寄せ集めにすぎないとして「ロ短調ミサ曲なるものは存在しない」という立場も存在するようである。バッハがプロテスタントであるせいか、カトリックの通常の歌詞とは異なる部分もある。
 他の膨大なカンタータとは異なり、生前に全曲を通じた演奏は行われていない。あるいはバッハ自身がただ神に向けて書いた作品であったのかもしれないというのは、素人である私の想像にすぎない。



 ところで、縮毛矯正をかけてから真っ直ぐ垂れ下がっている前髪が邪魔でたまらない。もうちょっと伸びたら耳にかけられるのだが、いかんせん今はどうしようもない。それで、髪留めというものを持っていないので、そのへんのクリップで留めて仕事をしているわけなのだが、うっかりすると取り忘れるんだな、これが。
 そんで、昨日今日と連続で二回やらかした。パソコンをいじった後で人と会う用事があって席を立ち、相手方ンとこ行ったら、なんだかいつもと様子が違う。そんでも首かしげつつ仕事をこなして返ってきたんだ。そこで気が付いたんだ。
 …マジで死ぬかと思ったヨ。しかも二回も。


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