- 2005年10月09日(日) ずいぶんと昔のことを思い出した。 私はともかく自分のことを見えないものだと思いなしがちなのだが しかし良かれ悪しかれ私は見える。想定しようとしまいと。 それで、どういうことかというと、 『A.さんとこの役者さんたちがうちの舞台裏に来た』という設定で、 A.さんが実に楽しい小文を書いてくださった。 私ももちろん一つ噛んでいるのだが、他人の見た私というのは面白い。 鏡を突きつけられはっとしたような、ニヤッと笑って話をそらしたりとか、 そんな気分になる。奇妙なことだ。奇妙なことではないか? 別の方に送っていただいたイアン・マッケランのインタビュー番組で、 彼が言っていた言葉は印象に残っている。大意はこういうことだ。 「自分をさらけだすこと、自らを見つめることが必要であり大切だ」 私はおよそ自分を見つめるということがない。 少なくともてらいはそこにあり、除くことは容易でない。 それはいかにも青年らしいことだが、 私はそろそろそうした若さを忘れていい年頃ではあるまいか。 わたしが本当に何を願っているのか。 わたしは誰なのか。どういう人間なのか。 マッケランにとっては同性愛者だとカミングアウトすることが 一つの契機となった。一つの大きな転機となった。 それでは私は。 ひとつ、ここらで考えてみなくてはならないかもしれない。 いや、考えてきたのだ。物語は私にとって手段だ。 手段であり目的だ。しかも隠れ蓑でもある。 -
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