終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年09月25日(日)

忘れないうちに映画感想。

「容疑者室井信次」
自分だけだったら絶対に見に行かない映画だ…。
感想を言うと、娯楽邦画だった前作「交渉人」とは少しカラーが違って、
ちょっと純愛浪花節(?)が入っている。
テンポのよさと構成力では前作のほうが上だが、
奥行きを指向して努力した痕跡があるのでまあ、そういうことかと。
キ印弁護士がものすごくリアルで笑えた。連中、あんな感じだよ。
まあ、多少なりとも誇張されているし、
わかっててやってるだけ本物よりマシだけど。
警察のいー加減さについても、まあ、正鵠、だな。


「銀河ヒッチハイクガイド」
ベリベリOK!
キレたギャグとキュートさとナンセンスがいい味を出している。
原作は知らないのだが、映像的な楽しみをよく引き出していた分だけ、
映画に分があるのではないかと思う。
ちょっと生命の尊厳とかいろいろ無視しているとは思うが。


映画じゃないけど「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」
なんとも言うまい。
人が多すぎ、暗すぎ、手稿の文字が細かすぎ(おまけに鏡文字)て、
ダメだこりゃ的に何も見えなかったと思う。
行く人は、スティーブン・J・グールド「ダ・ヴィンチの二枚貝」を
読んでいくとちょっと面白いかもしれない。
個人的にはつまんなかった。



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レオンハルト指揮「マタイ受難曲」
ようやく勇気を出してディスク2を聞いてみました。
だめだ!ダダ泣きだ!苦しいほどだ。

アリア「彼はわれらすべての者のために善きことをなせり」で泣いた。
力強さを欠いていると思っていたボーイソプラノが、
つや消しガラスのようなほの明るい魅力と、
尖ったガラスの破片のような切実さで迫ってくる。
キリストとはまさにこのような存在ではなかったか。
このような悲しみを抱いて信徒は祈りを捧げなかったか、この二千年に。
ああ、無限に積もった真実の祈りはこのような形をしてはいなかったか。

大祭司の法廷にて、またピラトの裁きの庭にて、
群集の叫びがなんと凶悪で、人間本来の罪に満ちていることか。
「バラバ」と叫ぶその叫びの鋭さ、多くの棘を持つ兵器のようだ。
たった三音であらわされる通奏低音は恐ろしい。
地獄から突き出したロンギヌスの槍のようではないか。

バスが泣いている。バスが、そして絡み合う弦楽器。
雄弁であるというよりも、ひたすらの嘆きのようだ。
アリア「われに返せ、わがイエスをば」、ユダの悲嘆はこのようでは、
このようではなかったか。取り返しのつかぬ罪、
己ひとりのものである罪。どのように嘆けばいい。
救い主を滅びに導いたのはこのわたし、この私だ。
明るさは悔い改めによってのぞいた空の片鱗だ、
縁取るのは悔恨と取り返しのつかぬ罪への恐れ。




ジンニーア、一人で暮らすことの良い点は、
誰にもどんな言い訳もする必要がないことだ。
わたしは私が望むというそれだけでどこまでも行ける。
どこにも行かないこともできる。夕暮れまで眠っていることも。
ここに同伴者を加えるべきなのだろうか。
たとえそれが―だとしても。


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