終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年09月04日(日)

「みんなどこにいるの?」―フェルミのパラドクス
 もしくはマクスウェルとアンデルセンについての覚書

 出会いは20年前、アンデルセンの寄宿する孤児院のフェルナンドトークス院。マクスウェル少年は8歳で、近くに引っ越してきた旧貴族の子息だ。両親が忙しかったため、院に入り浸るようになる。子供たちの人気者のアンデルセンには「こちらを向いてほしい」という少年らしい愛着を持つが、素直に働きかけるにはあまりに意固地で不器用でありすぎた。
 しかし少年の視線に気づいたアンデルセンは、それとなく手を差し伸べ、ぎこちない愛着を受け入れる。しかしちょうど13課の仕事が忙しくなった時期と重なり、アンデルセンは手にすがるマクスウェルをなだめすかすようにしてしばしば院を離れることになる。
 ある日、夕刻にアンデルセンが帰るときいたマクスウェルは、自転車をこいで村はずれのバス停まで出迎えに行く。しかし日暮れのバスにはアンデルセンは姿を見せず、マクスウェルは夜遅い最後のバスを待つことにする。
 果たしてアンデルセンは最後のバスで戻るが、バス停には自転車が転がっているだけだった。異変を感じ、また古い死臭をかぎつけたアンデルセンは追跡を開始し森へと分け入る。
 森の中の礼拝堂で、マクスウェルは目を覚ました。周囲には異様な雰囲気が立ちこめ、影が行き交う。怯えながらも逃げ出そうとするマクスウェルの前に、木立を突っ切って大きな影があらわれる。逃れようとした腕をつかまれ、恐れのあまり悲鳴を上げようとする口をふさがれる。「静かに、マクスウェル。もう大丈夫です」囁いたのはアンデルセンだ。
 だが背後から迫る影があった。黒い鎧、黒い馬の亡霊騎士だ。アンデルセンは銃剣を引き抜いて襲い掛かり、悪鬼の頭を斬り飛ばす。だが頭をなくした騎士はアンデルセンを蹄にかけ背を半ば断ち割って、マクスウェルを掴んで走り抜ける。デュラハンだった。
 悪霊がうごめき影が走る闇のなかで、マクスウェルは恐怖と苦痛のあまり半ば気を失いながらも神の名を呼びアンデルセンの名を呼ぶ。切り裂く刃は見えず、行く手には暗い地獄の火。血みどろになりながらもアンデルセンは追跡を続け、墓所の前でついに追いつく。残虐な戦いの果てにアンデルセンはデュラハンを寸刻みに殺戮し、重傷を負ったマクスウェルを救出した。
 その後、入院と、孤児院に責任があるとする両親によってマクスウェルはアンデルセンに会うことなくローマで進学。自らの意思で神学校に進み神童ともいわれる優秀さで司祭の称号を受ける。一方、アンデルセンはマクスウェルのことを気にかけながらも神父として聖堂騎士として年月が過ぎる。
 二人の運命が再び交わったのは、マクスウェルが13課に配属されたときだ。再会を果たしたアンデルセンに、マクスウェルは、幼い日に抱いた愛着は愛情となったと告げる。「おまえはわたしのものだ」。しかしアンデルセンは答えず、むしろこの先、マクスウェルが職務を果たせるかどうかを危ぶむ。いらだちながらも職務につき、机上の作戦では有能さを示すマクスウェルだったが、影は再び間近に迫る。両親の住む村に吸血鬼が入り込んだのだ。対化け物の切り札、聖堂騎士アンデルセンを送るとともに、自らも赴くが、見たのは一方的な殺戮と、両親の無残な屍だけだ。
 呆然自失するマクスウェルを、アンデルセンは初めて抱く。それが哀れみなのかいたわりなのか、それとも愛情なのかはわからないまま。神の前に罪深い行いであると知りながら。マクスェルにしても分かっていたとは言いがたい。依存なのか愛なのか幼い思慕なのか。ともあれそれが彼らの恋物語のすべてだった。

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「ヘルシング」アレクサンド・アンデルセン×エンリコ・マクスウェル。
書く気のない物語の構想なのでメモってみる。
基本的にわたしはどーも、オーソドックスなものしか書けない。
誰でも思いつくようなことしか思いつかないと言ってもいい。

しかし思うのだが、たいていのことはありふれたことだし、
ありふれたことの中だけに何かがあるのではないのか。
たとえば愛はありふれているし、死もそうだ。
だがだからといってそれですべての謎が解けるわけではない。

ありふれたこと、あたりまえのこと、論理を敷衍したところ、
そこに人間は生きているのだし、そこにしか生きていない。
だからそれでいいんじゃないかな。

人間が人間を殺す理由の統計とったら、
「痴話喧嘩」「肉親の確執」「金絡み」でほとんど全部だな。
いや、トンデモも好きだけど。霞流一とか。


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