終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年08月06日(土)

 “聖地”に激震走る―。

 高知県代表として6日から開幕する高校野球選手権に出場を予定していた明徳義塾高校が、大会直前の4日、出場辞退を表明した。夏の大会としては史上初めての事態を招いたのは、部員の喫煙と暴力行為だった。高野連は高知大会準優勝の高知高校に出場を打診し、すでに内諾を得ている。


 …これって、ネタ的に10年くらいは面白いと思う。
 明徳の部員は大学を卒業してノンプロとかプロに行くときにこの思い出を除いて話はできないだろう。彼らは「幻の甲子園球児」とか呼ばれ続ける。このネタの賞味期限は4、50年はある。日本人は判官びいきだ。
 一方、代替出場する高知高校の部員は、この大会で活躍すれば「奇跡の出場、奇跡の快進撃」とかって煽られるだろう。またぽしゃっと負けたって、彼らは二度の「終わり」を経験するのだ(3年生限定)。「奇跡の夏」は、必ず語り継がれることになる。まあ、10年くらいはね。

 明徳は8年連続の甲子園出場で、ということはそれだけ長いこと、高知県のほかのチームは甲子園から隔絶していたわけだ。だからこれは厚い壁に風穴が開いたように思えただろう。なんにせよ面白いことだ。

 だがこれは、苦渋の面白さだ。明徳に「非のない生徒もいるのに」というような月並みな言い方はしない。あってはならないことが起きるのは、あってはならないことを許す空気が蔓延しているときだけだからだ。彼らはすべて共犯者とはいわないまでも、ある種の非はあると私は考える。
 しかしすべての「非」を総計したとして、それで営々と重ねられてきた努力や練習がまったく無意味であるわけでもない。また輝かしい県大会の優勝の記憶や、その高揚や、一瞬一瞬の透き通った熱気が汚れるわけではない。
 また高野連は公正の神ではない。無名の投書は正義の声ではない。すべて思惑がある。明徳の部員と監督はすべて「非」があるが、同時に犠牲者でもある。わたしはかれらの涙と、あまりにも早い終わりに哀れみを感じる。

 ――おそらくは理に反するほど。


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