終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年06月18日(土)

「気が違うのは簡単なことです」
 カランシアは言った。その頬には黒髪がかかる。窓の外をうち眺める顔には松明の不安な光が映り、揺らめいている。マグロールは何も言わない。
「私はただ、正気でいようとする努力をやめればいい」
 ゆっくりと、石と化したようまた石と化しながらもイルーヴァタールの子の一人であることを止められぬ悲しみを抱くもののようゆっくりと、カランシアは振り返り、兄を見た。マグロールは黙って手を伸ばし、カランシアは震える冷たい手で応えた。
「容易です。あまりに容易で。――にいさま」
 マグロールは黙って弟を抱き寄せた。兄の肩口に額を寄せて、カランシアはわずかにむせび泣く。そして囁いた。
「わたしは、いつか、落ちる」
 マグロールはなにも、言わなかった。与えられた永遠という時間の中では、どのような予言もすべて現実にならざるをえないことを知っていたからだ。


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 灯火は明るく、部屋を円形に照らしている。ククールは小さな炎の真横に座り、シャツを脱ぎ捨てた。揺れる光はその背にかかり、なめらかな白い肌と、だがその上に刻まれた赤い酷い傷を照らし出した。拷問とも尋問ともいえそうな一連の行為によって刻まれたそれらの傷はまだ生々しく、赤い口を開けている。ククールは黙って背をさらした。光の外側に立つ男は黙っている。黙って暗い緑色の視線を傷だらけの背に注いでいる。
「薬を」
 肩越しに振り返ったククールが細い声で言った。
「薬を、塗ってください。手が…届かない、ん、です」
 闇の中の男はかすかに衣擦れの音をさせて進み出た。光は男の目の緑を、その顔の暗さを照らし出した。マルチェロは黙って光の中を進み、弟の背後に膝をついた。ククールが差し出した膏薬の小壷は省みられなかった。マルチェロは背をかがめ、地べたに手をついて、弟の背に顔を寄せた。その舌が傷を開くように背に這わされた瞬間、ククールは目をきつく閉じ、かすかに震えたが、声は立てなかった。 傷を開き、傷を擦って行き来する舌は熱く、熱はまた背に留まらずに広がってゆく。指先までも熱く、あまりにも快美で、ククールは声もなく息を落とし続ける。涙さえ滲んだ。これこそが拷問であり尋問であるなら、それより残酷なことはなかった。しかも、おそらくそうなのだ。ククールは身をよじった。背には熱い舌が這い、その呼吸が触れてくる。苦痛はないまぜになって、身じろぎもできないほど激しい感覚が震える体を満たしていった。


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もう半年は宇都宮に残留することが決定。
夏が来る、夏が。きみの最後の夏につきあえることが、うれしいんだ。


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「無私な創造者は、公平な批評家となることはできない。
 手紙を見れば明瞭である。
 普遍的なもの究極的なものに憑かれた精神は、
 さういふ精神が照らし出すものしか問題にしていない。
 ワグネルもゾラもモネも同じ光に照らし出されて現れて来る。
 ゴッホの言ふ着想の単純さを理解するとは、
 かういふ精神を理解することだ。
 かういふ精神には、着想は常に単純たらざるを得ないといふ事を
 理解することである」
           『ゴッホの手紙』小林秀雄


それがつまり、球を連ねた数珠だ。
ガラスの球をつないだような、彼の見る歴史だ。
彼の文章を読む都度に(つまり毎晩だ)思う言葉がある。
「批評とは己が思想を懐疑的に語ることではないのか」

ゴッホが書こうとしていたのがひとつの動きのうちにある人体なら、
それはわたしもおなじことだ。
ただ、わたしが書きたいと願うのは、

ひとつの動きのさなかにある人体をよぎる、ほの暗い物語だ。
それは気分ではない。それは性格ではない。心理でもない。

わかるだろうか。

たとえばオイディプスに見たように、
知られることなく語られる真実とでもいうようなものだ。
そうしたいわば神の領分だ。人の世にありながら。
いっそうそ寒い空間だ。ほの暗い。
そんな文章だ。ああ、またバカなことを書いてる。
何を書いていても。わたしは頭が悪い。痛いのではない。麻痺している。


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