- 2005年03月14日(月) 夜半、空を翔る。変身の呪文は暗い皮質の翼を彼に与えた。その強い一打ちごとに暗い地上は鋼めいた鉤爪の下を過ぎていく。なぜそのような形をとろうとしたのか悪魔は自らに問わない。だが悪魔であろうとすることがおそらく必要だったのだ。悪魔の形を借りることが。 眼下の山脈が切れた。星明かりに輝きを放つ湖が浮かび上がる。悪魔は翼を翻した。高度を下げるうちにも夜の冷気が彼の毛皮を冷やしてゆく。人の言葉を知らぬ異形の脳髄が呟いた呪文は音もなく光もおよそ人間に似たものが知覚するすべさえない形で落ちて湖畔に広がった。 湖畔、村ひとつない辺境、高地の湖。人の世を捨てたものの世。再び翼を翻し、音もなく粗末な草葺の家の前に舞い降りた。しなやかな腕が体を支えるうち、悪魔でさえ驚いたことに扉が開いた。 「私に眠りの魔法が効くなどと思ったか?」 扉を立ち出てこちらに歩みだした人の姿は言った。傲慢でもなくかといって静かでもない。心かき乱されたものの声だと悪魔は知る。 「そして私が善悪を知る者であることを忘れたか――おまえと同じく」 悪魔は応えなかった。だがかすかに身を震わせ、伸ばされた手の前で魔法を解いた。それとも解けたのであろうか。翼は萎み毛皮は失せ湾曲した鉤爪は消えた。残ったのはよろめく細い体の少年だ。 「――ククール、久しいな」 ククールは震え、そして唐突に身内に戻った人間くささとでもいうものに戸惑ってかすかに微笑した。男もまたかすかに笑った。ククールは両腕を開いて男をつかまえ、かすれた声で囁いた。 「マルチェロ――兄貴。あんたを探していたんだ」 マルチェロが笑い、ククールを抱きとめた。 「おまえの抱擁が私を私にした。ククール、おまえがここに来るまでは、私は長いあいだ、どこにもいなかったのだよ」 -------------------------------------------- 今度はどこに行こうとするのだ、私の想像よ。 発見の文脈か、それとも誕生の文脈か。 これが逆だったら、ククールは心臓を毟り取られているな。 そしてそれもまた名づけと発見の行為だろう。 -
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