- 2004年08月23日(月) 秋の到来を告げるのは雨と決まっている。 1: 傘は嫌いだ。 片手をふさがれるのは困るし、それで完全に雨を防げるわけではない。 かといって雨合羽は着込むのが面倒だから、私はよく雨に濡れる。 だから余計に夏の終わりには敏感なのだ。 2: さて、宇都宮に戻ってきたわけだが、 那須に登ろうと思っていた私の計画を打ち砕くように雨が降っている。 まあ、いい。夏は終わったと雨に濡れた私の体が知った。 結局それだけのことなのだ。季節は常に外的事象に過ぎない。 出来事は常に外的事象に過ぎない。何事も私を永くは占めない。 私はただ受け取り、私はただ手放す。すべては外的事象に過ぎない。 こうした生もしくは日々は、祝福か呪詛か。 どっちだっていい。答えが出る頃には私はいない。 気負って言うなら世界は私によって内と外を持つ。つまりは私が外だ。 3: いつかも書いたが私は熱帯に育った。夏が終わるのは身を切られるように辛い。 夏が終わると、故郷を追われていくような気がする。 見なれたはずのものがすべて一様に遠ざかるような気がする。 それで、ナーバスになるかと尋ねられればノーだ。 私は故郷を追われ、一切が馴染みのない色彩を帯び始める季節を待ち望んでいる。 故郷の幸福は一瞬以上耐えるに重い。夏も終盤にはもううんざりしている。 私は労苦に耐える。だが儀式と概念の中には一瞬以上いられない。 世界が私を取りこもうとするとき、私は逃げる。 逃走には、たとえばカメラ、あるいは一本のペンと一枚のメモでこと足りる。 -
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