終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2003年12月17日(水)

インタビュー:少年1

 最初に感じたのは屈託だった。少年らしいとも少年らしからぬともいえる屈託だ。彼は、とある高校野球部に属する。全国的には低迷する栃木県においても、県内屈指の強豪ではない。だが中堅レベルとはいえる。今夏にはベスト8に食いこんだ。彼は捕手だ。主将でもある。彼はチームの責任を負い、キャチャーズボックスからゲームを支配する。
 私をひきつけたのは、彼の屈託だった。ともかく彼の言葉を聞いてみよう。

「打ちたいと思っても、うちのチームは走者がいればバントって決まってる。
 どんなにアピールしてもだめ。バントのサインが出る。
 だけど、来年の夏には、オレは監督の言うことなんかきかないでしょうね。
 今は使ってもらえなくなるのが嫌だから言わないですけどね」

 それは少年にはありがちな強がりだろうか? 高校野球にあっては全能の『監督』への子供らしい無条件の信頼を残しながら、権力の理不尽な論理にうすうす気づき始めたその淡い反発なのか。それとも異なるものか。それは一つの決意か。
 小中高と長い期間にわたる彼の野球生活において、出会った監督たちは、最初彼に投手の役割を求め、次に捕手になることを求めた。投手としてはオーバースローからサイドスローにフォームを変えることを求めた。今でも彼の手はサイドスローの影響を残しており、投げた後に横にねじれる。また成長期の長い過酷な練習で、彼の肘は真っ直ぐに伸びない。彼は肩をぐるりと回せない。彼が本塁から投げたボールは二塁に届く前にバウンドする。

「野球は高校で終りです。
 ほら、大学でまたやろうと思ってもやっぱりやめちゃうやつっているでしょ。
 高校でやってるうちは肩とか肘の痛いのをがまんできてる。
 高3の夏が終わって数ヶ月やらない期間があって、
 あらためて大学に入って始めようとすると、痛くて我慢できないんだよね。
 だから結局やめちゃう」

 その言葉は幾つもの飛躍を含んではいたが、珍しく屈折を越えて私に届いた。彼が長いあいだ見てきた夢はそこで途切れる。彼は続ける。

「俺はあまり野球の中継は見ないんです。見ても面白くないし、集中が続かない。
 俺は相手と対戦するのが好きなんです。
 配球で三振を取ったり打ち取ったりしたときは、すっとする」

 彼の手は小さい。ボールを握れる限界のところだ、と、彼は言う。私が強いて彼に手を伸ばさせたとき、彼は照れたように「お、ちいせぇ」と呟いて手を引っ込めた。多少の困難は乗り越えることができる。だが肘と肩の故障は? 164センチという身長は? 変化球を投げられないほど短い指は? 彼は努力を知り報われることを知り、しかし限界をも知った。それはまさに人生そのものではなかったか。努力と勝利と限界と敗北と、それらを受け入れることとは。

「俺、小学生のときから今の身長です。
 小学生のころはだからでかくて、いつも後ろの方にいたんだけど。
 中学に入ってどんどん追い越されてった」

 彼の屈託をどのように理解するべきであろうか。彼はグラウンドに立ち、監督のもとでチームを率い、バウンドする球を本塁から二塁に投げる。彼はマスクをつけ、勝利と敗北のどちらに行きつくともつかぬ試合に嬉々として身をゆだねる。最後の夏はまだ先だ。彼はそこまでは行くつもりだ。

「甲子園?
 そりゃ行きたいッスよ。
 野球やってる高校生なら、みんな行きたいでしょ」

 彼はいささか醒めている。それでも彼は野球を愛する。甲子園という夢よりも、彼はおそらくグラウンドの風景が好きだ。彼はキャッチャーズボックスに膝をつき、エースを見る。彼はサインを出し、ミットを構える。彼はチームとともに打者に勝負を挑み、勝利しまた敗北する。彼はチームに満足しまた怒りを覚える。彼はゲームの中で深く複雑な思考の隘路をたどり、一瞬の判断と対決を積み重ねる。彼はその場所で深く豊かに生きる。そこにいるときにこそ本当に生きていると感じているかもしれない。彼はいつかそこから立ち去るだろうか? そのとき、彼はもはや屈託を持たないだろうか? 自由で孤独で、だが歩き通す力だけを持っているのだろうか? あるいはそうかもしれない。
 そのとき彼は呼ぶだろう、そこにいた季節を。――青春と。



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