終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2003年04月14日(月)

『戦場のピアニスト』

1:
受動的な主人公である。
ともかく、逃げるほかなにもしない。

しかしあらゆる苦しみを味わい尽くし、
失いうるものを失い尽くし、
一切の抵抗が無意味であると見続ける彼は。

画面の中でその意味を劇的に変えていく。
それとも私たちの意識の中で変わっていくのか。

終盤、彼が廃墟と化したワルシャワをよろめき歩むに至って、
突き付けられるすべてを飲みこみしかも受け入れ続けるに至って、
極度の能動性が二重映しに見えてくる。


2:
ユダヤ民族はこのような虐待、抑圧を受けてきたのかと。
弾圧の最も剥き出しな形とはこのようなものであったのかと。
白昼に顕現する人間の悪とはこのようなものであったのかと。

衝撃は重く哀しかった。
映像は迫真だ、この言葉の意味がわかるだろうか。
迫真、真に迫っているのだ。そこに生きる人々の温度が聞こえてくるのだ。

さて、話を戻そう。

彼はさまよい、食糧を求め、獣のように隠れ棲む。
彼は発見され、音楽を「命じられ」、奏でる。
彼は与えられた食糧を食べ、身を潜める。
彼はほとんど、意味のある言葉を発しない。
自らの意思をあらわす行動を行わない。

彼はあらゆるものを享受し味わい苦しむことで、
限りない能動性を感じさせ始める。少なくとも私はそれを感じる。
ラストで鍵盤に向かったとき、そのとき。

ピアノとその音楽によって彼は表現者となり世界に対する能動性を持つ。
彼の能動性とはそれだ。表現者の能動性だ。生活/存在者のそれではなく。
彼はその生活において受動し、だが世界に対し表現において能動する。


3:
私は。
私はどうするだろうか。
道は決まっている。


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