終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2003年04月11日(金)

『蝶の舌』

1:
少年は叫んだ、
「アカ! 不信心者!」
「ティロノリンコ!」
「蝶の舌!」
そして石を投げた。
老人は青ざめ、絶望し、そして運ばれていった。
その後、彼らはけっして出会わないだろう。

スペインのクーデター前後に題材を取った映画『蝶の舌』を思い出す。
何を見て?

ニュース番組だ。
イラク、バグダッド市民のいわゆる”喜び”の表情を見てだ。
『蝶の舌』を見ていない人は、ここから先は読まぬがよろしい。


2:
『蝶の舌』の主人公は少年だ。
彼は大好きな先生がいる。
老いた教師だ。妻を亡くし、今はただ教育に情熱を傾けている。
教師は共和党だが、それは少年の父や村の多くの人も同じだ。
民主主義を掲げる共和党に、教師はより幸福な世代を夢見ている。

日々は平穏に流れ、少年は教師に多くを教わる。
蝶の舌はぜんまいのように丸められていることや、
蜜吸うときには長くのばされるをことを。
オーストラリアにはティロノリンコという鳥が住み、
その鳥は愛する恋人に蘭を贈るということを。
日々は常に先立つ日々よりも美しく、
訪れる夜は先立つ夜よりも美しいと少年は信じている。

クーデターが起きた。
少年の母は父を守ろうとする。
党員証を焼き、書物を焼く。
少年も父を守らねばならないと知っている。
彼らは教会に行く、不信心者ではないことを示すために。

彼らの眼前に村の主だった共和党員が引き出される。
彼らは荷車に載せられる。老教師もまた上る。
母は石を投げる。父を守らねばならないのだ。
誰よりも、ほかの誰よりも「共和党員でない」ことを示さねばならない。

少年も知っている。父を守らねばならない。
石を投げねばならない。罵詈雑言を投げねばならない。
誰よりも、ほかの誰よりも「共和党員でない」ことを示さねばならない。
そうだ、共和党員の子が共和党員に石を投げるわけはないではないか。
そして少年は石を投げる。だから父は共和党員ではないのだ。

老教師は荷台にのせられる。
少年は彼に石を投げる。
なぜなら彼は熱心な、誰よりも熱心な体制派だからだ。
そうでなければならないからだ。
彼の父を守らねばならないのだ。

だが少年は自分自身を許さないだろう、もう二度と。
日々はあの輝きを取り戻さないだろう、もう二度と。
老教師はほどなくして死ぬだろう、絶望のあまり。
そうさせたのは少年だ。彼なのだ。

――そして冒頭に戻る。


3:
つまり、映像を信用するなということ。
昨日サダム・フセインを恐れて鬼畜米英呼ばわりしていたのだ。
今日は米英を恐れてサダムの像を踏むだろう。

彼らは昨日までは誰よりも、誰よりもサダムの民でなければならなかった。
今日は誰よりも、誰よりも親米でなければならないのだ。
生きること、愛するものを守るためには、主義など何だというのだ。
他人などなんだというのだ、裏切りがどうして悪い。

弾圧とはそういうことだ。
弾圧のもとで生き延びるとはそういうことだ。
オウムの話をしよう。
あまりに長い間閉じ込められていたために、
彼は解き放たれてなお、止まり木を離れることができなかった。

そして彼らは。
彼らは知っている。
彼らの上に掲げられたのは、結局のところ――米国曰く、自由。
これまではサダム曰く、自由だった。
なにも変わってはいない。


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