終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2003年02月10日(月)

「夫れ天は人の始めなり」


1:
それこそが矜持であった。
矜持とは呪文だ、身を鎧う。
人が天をその始めと云う。
何という矜持であろう。

人が自らの種族の始めを天に帰す。
それはまさしく人を人ならぬものとしただろう。
巨大なものとまた非人間的なものと。
そして歴史は光を放つ。


2:
中国においてその歴史が面白いのは、
ただ春秋戦国と三国志の時代だけである、というのが私の持論だ。
それより時代が下れば、人々はあまりに長い尾を引きすぎる。
歴史は適度に短い方がいい。鎧は適度に薄い方がいい。
確信犯は楽しいが、確信しているだけなら狂人だ。

確信しつつ疑っている人間の、その矜持は爽快だ。
確信しようとしつつ疑わずにはいられない人間の、その矜持は一滴の血。
確信しようとして信じないものの、その苦渋の美しさ。

まだ歴史の始まりより前から、おぼろに遠い黎明が射しているとき。
人は外側をよく知る。そしていっそう強い呪文を要する。
だから私が好きなのは。

ただ彼らの相克なのだ。


3:
我が始めは天である、と、彼らは言う。
彼らの言葉は歴史のうちの光芒だ。
自らの始めを天におかんがための無限の律動だ。
現在をして過去を名づけしめんとする慟哭だ。

獣に堕し悪鬼となり神を謗りながら。
彼らは遠く見ればまさしく一つの文字を描く。
そのようにしか見ることのできぬ文字もある。
そのようにしか語り得ぬ言葉もある。

私が見たものは、私の目の中にだけある。
だがそれをなぞり、見せることはできるだろう。


4:
私は彼らの外にいる。
私は四次元方向に遠い。
だが祈りは全てを超える力を持つ。


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