- 2003年02月08日(土) 週末にしか書いていないなあ… その昔好きだった本を、機会あって開いてみた。 『史記』、白眉は武帝時代というが、私は春秋戦国時代がとても好きだ。 うち、呉越の抗争。 1:伍子胥 当時、中国大陸の南方に位置する呉と越という二つの国は、 中国文化圏にとって蛮夷であり辺境であった。 だから呉越の抗争は、この地域が中国文化圏に組みこまれていく、 その過程であるという巨大な意味をも背景として持つ。 一人の男がその渦中にいる。 男の名は伍員。字は子胥。楚の貴族だ。 楚は呉の北方に位置する隣国だ。 伍子胥の父・伍奢は楚の大臣であり、太子の養育係だった。 その太子に隣国・秦から王女を娶ることとなった。 しかしもう一人の養育係である費が、王に進言した。 「秦の女、はなはだ美なり。王、自ら娶るべし」 ――秦の王女は非常に美しい。王が自ら娶られてはいかがですか。 王はこの進言を容れ、太子の妻を奪った。 その後、王は太子を遠ざけることとなる。 妻を奪ったことで太子が恨みを抱いているという費の讒言もあった。 王は太子を誅し、その養育係である伍奢を殺そうとした。 このときまた、費が進言する。 「伍奢に二子あり、皆賢なり。誅せずはまさに楚の憂いたらんとす」 ――伍奢には二人の子があり、いずれも賢明です。殺さねば国の憂いとなります。 王は伍子胥と兄を殺すために、父親の命が惜しくば出頭せよ、と触れを出す。 伍子胥の兄は、行けば殺されるだけだという伍子胥に言った。 「去るべし。汝はよく父を殺すの仇に報いん。我はまさに死に帰せんとす」 ――行きなさい。おまえは父の仇を取るだろう。私は死にに行く。 兄は出頭し、父とともに殺された。 伍子胥は、逃げた。 2:専諸 長江を渡り病を得て時には乞食さえしながら、伍子胥は呉にたどりつく。 王子・光につてを求めて宮廷に上がり、王に見えた。 辺境で争いがあった。伍子胥は出撃を勧める。だが王子・光が遮った。 「彼の子胥、父兄、楚に戮せらる。自らその仇に報いんと欲するのみ」 ――この子胥という男は、父と兄を楚で殺され、その仇を果たしたいだけです。 王は進軍をしなかった。伍子胥は王子・光の野心を知った。 伍子胥は王子・光の野心を知った。 軍事を握っているのは光だ。呉が外征するには、光が王位につく必要がある。 伍子胥は王子・光に専諸を推挙し、自身は野に身を沈め、時を待つ。 彼は待つことを知っている。そして骨肉の憎しみは薄れも揺らぎもしない。 伍子胥は畑を耕し、日々を静かに数える。 専諸が何者であるのか、史記は語らない。 わかっているのは呉人で、腕の立つ刺客であったということだけだ。 王子・光は、王の腹心が遠方にあるとき、専諸に言った。 「この時、失うべからず」 ――この機会を逃してはならない。 専諸は答えた。 「王僚は殺すべきなり」 ――王を殺しましょう。 王子・光は王を自宅の饗宴に招く。 王は警護の兵を王宮より光の館にまで並べる。 史記に言う、「門戸階陛左右、皆、王僚の親戚なり」 ――屋敷の門や階段、全て王の腹心でかためられた。 至難の状況の中、専諸は料理をささげ持って王の前に出る。 わずかも不審があれば殺され、しかも業もならぬ。 顔色一つ、挙措一つ、見逃されぬであろう。専諸は王の前に進み出た。 皿の上には見事な魚。専諸は王の前に立つ。 だが業をなしたとて、どのみち生きて帰る道はない。そこは死地だ。 「専諸、魚を劈き、よりて匕首をもって王僚を刺す。王僚、立ちどころに死す」 ――専諸は魚を裂いて匕首を取り出し、王を刺した。王は即死した。 王子・光は王位に上り、呉王・闔閲となった。 時の来たのを知った伍子胥もまた、再び表舞台に戻る。 呉王は専諸の息子を上卿にとりたてた、という。 3:孫武 孫武、すなわち兵法に名高い孫子である。 孫武は闔閲に見える。すでにその兵法は名高く、闔閲はその名を知っている。 だが机上の論と実践が異なることも周知の事実だ。 闔閲は、宮中の婦人を兵として訓練できるか、と難題をつきつける。 孫武は答える。――「可なり」 孫武は百八十人の女たちを二つに分け、王の寵姫二人を隊長とする。 「汝の心と左右の手と背を知るか」 孫武の問いに女たちは答える。――「之を知る」 それでは、と、孫武は言う。 ――号令が前とかかれば心(むね)を、左には左の手、 右には右の手、後ろには背を見よ。 それで準備は整った。孫武は号令をかける。女たちは笑うばかりだ。 再び孫武は命令を繰り返す。 再び号令をかける。やはり女たちは笑うばかりだ。 孫武は言う。 「既に己に明かにしてしかも法のごとくにせざるは、吏士の罪なり」 ――約束が明らかであるのに、従わないのは、兵士の罪である。 そして二人の隊長を斬った。 寵姫らをなくして、王がひどく嘆いた。 今や女たちは整然と行軍し、私語もない。 だが、観閲せられよ、という孫武の申し出に王は青ざめて応じなかった。 「王、徒にその言を好んで、その実を用いることあたわず」 ――王は兵法の論が好きなだけで、用いることはできないらしい。 孫武は嘯く。だが王の横には伍子胥がいた。 伍子胥はこよなく鋭い牙を得たと知る。 4:申包胥 呉王・闔閲の絶対の信頼のもと、孫武という牙を得て、 伍子胥は放たれた矢のごとく鋼鉄の顎の死のごとく走り出す。 燎原に火は燃え広がり、誰に止めることができるだろう。 闔閲の治世の九年、伍子胥は楚国を破断し尽くして、王都・郢に入った。 既に父兄の死から二十年が過ぎている。 だが憎しみは薄れない。楚王は既に死んだが、それがどうしたというのだ。 伍子胥は王の屍をその墓所を暴いて引き出し、鞭を振り上げる。 振り上げ、振り下ろす。三百回、屍を鞭打って、それがようやく気が済んだ。 王の屍は既に塵のようだ。 そこへ書状が届けられた。 「子の仇を報ずる、それ甚だしきかな」 ――あなたの仇討ちの様は、なんとひどいことだ。 誰からと問えば、申包胥という。伍子胥は答える。 「我が為に申包胥に謝して言え。 吾、日暮れて途遠し。吾ゆえに倒行し、逆施せり」 ――俺のために申包胥に答礼して言ってくれ。 俺はもう日が暮れているのに行く道が遠い思いである。 それゆえに焦りがまさり、道理に背いたのだ。 かつて伍子胥が楚を逃れる折、親友だったその男に言った。 「我必ず楚を覆さん」 ――俺は必ず楚を滅ぼして見せよう。 申包胥は答えて言った。 「我必ず之を存せん」 ――私は必ず楚を守ろう。 涙もろく気の弱いといわれている男だった。 そうでないことは伍子胥が知っていた。 申包胥は西の隣国・秦に向い、秦王に援助を請うた。 そうとも秦王の美しい王女の生んだ息子が今は楚の王だ。 秦王はだが呉軍に恐れをなした。 申包胥はなすすべもなく立ち尽くし、七昼夜、慟哭し続けた。 秦王は、申包胥のために楚を救うことを決めた。 「臣のかくの如きあり。存するなかるべけんや」 ――このような臣下のある国を、滅ぼさせることはできぬ。 秦の参戦と呉国内の内乱が重なった。 孫武が首を横に振り、伍子胥は撤退を強いられた。 申包胥はその後、楚国において高い位をすすめられたが、逃れて受けなかった。 ……長いよマサルさん!(ぎゃふん) -
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