終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年12月14日(土)

ジンニーア、私のおまえ。
煙と縁なき炎よ。
形ある嘆きよ。異様の双つ面よ。


1:
いや驚いた。
テレビのない生活(…)に入ってはや三年。
インターネットとチャットゲームはやっていたが、
その間いわゆる「テレビゲーム」やその進化形オンラインゲームは、
ちっとも全然まるっきり興味がなかったため、
どんなものかということすら知らなかった。

どれくらい昔に私のゲーム時代が停止したかというと、
最後にやったのが、FF8。(PS)
面白いと思った最後のゲームがロマンシング・サガ3。(SF!)
よくできてるとハマった最後のゲームがスターオーシャン2。(PS)
古い……。(討ち死に)

で、なんとなくのぞいてみたオンラインゲーム世界。
つ、つまんなそー。(敵増やしたな)


2:
私は基本的に、テレビゲームの類は、「作品」として楽しむ。
ディテールを楽しみ、筋に「乗せられて」楽しむ。
キャラのツッコミ所にツッコんで楽しむ。
伏線を読んでほくそえみ、深読みして悦に入る。
エンターテイメントとして、「楽しまされる」ことを要求する。
つまり、お客さんとして、特別扱いされることを要求する。
簡単に言うと、金払ってんだから、ということである。

チャットゲームは無料である。
相手も同じフツーの人で、「お互い楽しみましょう」なスタンスである。
であるからして、特別扱いは要求しない。
娯楽要素に関しては「楽しめるかな?」程度のトコである。
むしろ表現の快楽、演出の快楽、つーとこのが大きい。
他人と出会ってどー転んでもいい、というのも淫靡だ。
しかも他人というのは、何を言おうとアテにはならないからまた然り。


3:
オンラインゲームは。
うーん。
なんだろうなあ。

さらっと見た限りでは、作品世界という土台とルールがあって、
その上で「みんなで遊ぶ」つー感じである。
アイテムにはまってもよし、筋解きにはまってもよし。
他人と出会ってごちゃごちゃを楽しんでもよし、なんだろうなあ。

だけど。

土台とルールがしっかりしている中で、
「他人」と遊ぶというのは、非常に難しいように思う。
相手がさんざ絡んでおいて、ひょいと出てこなくなったら?
……それっきし、進まないじゃん。
そのとき土台がしっかりしすぎてたら、にっちもさっちもいかない。
そこまで絡まなければいいのかもしれんが、
それでは「他人」という不確定要素を取りこんだオンラインゲームの意味はない。

生ぬるく「コミュニケーション」を楽しみ、
生ぬるい「作品」でうだうだするくらいなら、
――あたしはスーファミ買ってくるとも。
実際、最近のゲームはあんま面白くない。(ジジイのような言いぐさ)


4:
最近のゲームが面白くないのは、
「作品」として自己満足の臭いのプンプンするモノだからだ。
キャラ名前に胡散臭い心理学用語を並べたって、知らねーよ、ヲイ。(笑)
作ってる人間が一番楽しかっただろー。(苦笑)
という印象を受けるゲームは最悪だ。
書いてる人間が一番楽しかっただろー。(苦笑)
という最近の推理小説と似たようなモンだな。

面白いのは完全なるエンターテイメントである。
面白がらせてやれひきこんでやれハマらしちまえという根性である。
面白いのは精神を抉る、何一つ措くところない情念である。
どうしようもなく面白いと感ずにはいられないのはいつでも真実だけだ。
気取りはいやらしいだけだが、作りの粗雑さはウンザリする。

そしてマニア受けというのがなんだか重要に見られているようだが、
人間の遺伝子が99%まで同一であるということを鑑みると、
1割の人間も楽しませられないようなゲームは、いかんだろう。
美は普遍性を持つし、楽しさもそうだ。


5:
ゲームかあ。
……やってるヒマはネェ……。(ふ)


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