終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年12月08日(日)

「方々に思いきって切られた傷口が口を開けている。
 独特の治療法を発明するためだ」
          ――小林秀雄『モオツァルト』より


1:
音楽、類稀な主の手になる音楽はそのようだろう。
どのような裂け目もそこに一層美しい宝石を得るがために開いている。
そして豊かさは溢れ、満ち、また新たな生を得る。

だが犯罪は別だ。
それは人間社会に開いた傷口だ。
しかもそれを繕うに能たる手腕は見出されていない。
豊穣の口としうる天才はなおさら。


2:
不完全だが、言うなれば、司法だ。
法という人間社会の表皮を突き破った人間(=犯罪者)が
その場に呼び出される。

そしてその事のありのままを提出する。

事例を目の前に見て、裁判官は自ら問う。
この傷口は、ただ傷口に過ぎないのか?
それとも社会そのものがその方向へ、
骨を生じ肉を生じ、皮膚を蕾みたようはちきれさせながら伸びつつあるのか?

そして、傷と名づけるか、痛み伴う出芽と名づけるか。
滅多にないが、そういう判決もある。裁判も。


3:
しかしながら、裁判官は多くが頭が固い。
そう言わないまでも、柔らかくない。(笑)

そして提出される事実はありのままであると限らない。
人間が為し、人間が物語化したのだ、ありのままであるはずもない。


いい言葉があるな。
群盲、象を撫でる。


だが、盲目でもなんでも、撫でてみなくちゃ始まらない。
陪審員制度を導入してみたらどうかなー……。


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