終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年05月08日(水)

社会というもの、世界というものが、
なんと幾層も連なってできていることだろう。

あなたのその視界は閉ざされ、限られている。
しかもそれを知ることさえ、容易ではない。

あなたの世界は、あなたの視界に百倍せねばならない。

あなたの見ているものは、無限に多くの次元において存在している。
しかもそれぞれの次元において真実なのだ。
その全てを見つめて、しかも、一つを選び取れる力を。

――あなたは、知っているだろうか。

それは、破壊と同義。
それは、残酷と同義。
それは、堕落と同義。

しかも生れ落ちるには、その百万倍も死ぬことが必要だ。
なぜなら、生まれるとき、ひとは皮膚の外側を放棄する。
ひとは皮膚の外側の全ての無限な空間において死ぬことによってのみ、
わずか皮膚の内側に己を存在させることが許される――

寂しい、ね。


『もうけっしてさびしくない
 なんべんさびしくないといったところで
 またさびしくなるのはきまっている
 けれどもこれはこれでいいのだ

 すべてさびしさと悲傷とを焚いて
 ひとは透明な軌道をすすむ』
          宮沢賢治「小岩井農場」より



可能性を殺して事象として産み落とさねばならない。
可能態を殺し尽くして、自らの形を切り出さねばならない。

生まれるとき、ひとは既に、血に塗れている。
その血のゆえに、ひとは、かなしい。

なにかを見出すとき、ひとは既に、多くのものを殺している。
その血のゆえに、一切は、かなしい。

存在することは、かなしく、さみしい。
なにかをすることは、さみしく、かなしい。


       「Who can say, who you are......?」


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