- 2002年03月24日(日) ダンス・オン・ザ・アイス・アイズ。 1: わたしはよく、体育会系のひとに怒られる。 「そんな考え方は一生懸命うまく(野球を・体操を・その他を) なろうとしているひとに失礼だろ」 と、よく言われる。 『ひとはなにゆえ、役にもたたないこと(スポーツとか)に あんなに汗みどろになって頑張れるのか』 という命題について話し合うときである。 2: わからないのである。 百分の一秒、速く走れて、そして何になるのか。 ひとより少しでも高く飛び、速く走りまた泳ぐことに意味があるのか。 だから、必然的に、「コンプレックス原動力説」を、唱えてしまう。 あるいは――「運動選手の持つ社会的地位への憧憬説」とかね。 失礼、らしい。 そりゃ、わかる。そりゃ、そうだ。 うちの弟は体操に高校生活の情熱をかけているが、 一度わたしの持論を聞いて、それ以来わたしに試合に見に来るなと言う(くすん) でも、じゃあ納得できる説明をしてください。 3: わたしの経験からすると―― チームの友情って、けっこう、幻だ。 チームメイトと友人って、けっこう、違う。 チームメイトは卒業や引退すると、そのまま、会わないことが多い。 「チーム」あっての「チームメイト」だから、 「チーム」がなくなれば、縁も切れてしまう、大半は。 少しうまくなった――人に勝った――そんな、喜び。 なかったわけじゃない。 でもわたしはふっと考えてしまう。 ……一円も儲かったわけじゃ、ないんだよな。 誰かがそれで今夜食事にありつけたってわけでも、ないんだよな。 要するに、わたしの価値観は、非常に現実的で、 非常にシビアで、非常に俗物的なものだから…… スポーツの意味が、引っかかってこない。 のかも、しれない。 3: 文章は、表現しようとする欲求は、わたしの血の中にある。 わたしはこれに「価値があるかないか」に思い煩わない。 「価値がない」と言われても、書く。 「価値がある」といわれても、書く。 それはいかなる「手段」でもなく、 それ自体が欲求だから、わたしはこれを美名で飾らない。 わたしはこの欲求を多分「コンプレックス」に根ざすものだろうと、 頭の別の場所で分析してはみるけれど、それを信じてるわけじゃない。 そういうこともありうる、と、面白がってみるだけだ。 結局確かなのは、わたしが書くのは、ただ「書きたい」から、というだけ。 スポーツも、そうじゃ、ないのかな、と、思うけど。 友情をなくしたくなければ――黙っておくに、限る。 というのは、確かである。 -
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