終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年11月20日(火)

会話の諸段階3

1:
礼儀からでも、誠実であることはできる。
「ほう、それから?」と、慇懃に言葉を促し、
相槌を打ち、要所要所で笑い、
さも興味深そうに目を輝かせることはできる。
好意をほのめかすことさえ、できる。
全くの礼儀からでさえ。

いったいどれほどの会話を、
本当の好意、本当の興味をもって我々は行っているだろうか。
礼儀という無色透明の動機からさえ、
我々は好意を装う必要を覚える。
――利害が絡めばなおさら。


2:
何も持っていない人間だけが、全ての好意を信じられる。
礼儀にも値しないと思われたときにだけ、
何も必要とされていないと感じられたときにだけ、
向けられる全ての好意に対して、私は純真になれるだろう。
――子供のように。
そうとも、子供の幸いとは、まさにそこにある。

だが、そうだ。
そのときにさえ、警戒するべきものはある。

「自分をこのように見せたい」という相手の願望、それに巻き込まれることだ。
それは正に私を道化にさせようという意図だ。それを正に私は憎む。

慈善家には慈善を施す相手がいる。
道徳家には諄諄と諭すべき卑劣漢がいる。

見せかけの好意だ――そこにあるのは。

善人になりたいなら、一人で勝手になるがいい。
王様になりたいなら、一人で勝手になるがいい。
私は私、その役回りをお頂戴するほど落ちぶれてはいない。
――私はそう、叫ぶ。


3:
私は、腹立たしげに投げつけられる好意だけを受け取ることができる。
限りなく羞恥に満ちた、おまえのせいだと言わんばかりの、
あるいは――事務的を装ってさも惜しげに――差し出される好意だけを。

これは高すぎる自尊心なのか?
奪ったものだけだ、私を幸福にできるのは。

受け取ることは難しい。
対等のものを返せるというのでなければ、
与えられるばかりの関係は――苦痛に他ならない。
与えられるということはともかくも、敗北だからだ。

恐ろしいのは『ほんとうの手』だ。
その巨大な恩寵、限りない慈悲、恐るべき許しだ。
返礼もならないと知りながら、握り締めたくなってしまう。泣き咽びながら。

だが、この敗北を受け入れられない。

私は――限りなくそれに憧れながら――
  ――だが同時に、それが私の死だということを知っている――


-



 

 

 

 

ndex
past  next

Mail
エンピツ