終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年11月02日(金)

今日の夕方、性懲りもなくまたバイトに行き、
帰ってきて体温測ったら34℃。
あたし、人間だったよね……と、遠い思考に耽ってしまいました。

あたしの体温とかけてなんととく。
ブラックマンデーととく。
そのココロは……株のように乱高下。
……シャレにならん。


1:
絶交、と、書いた。
必ずしも絶交だけが一つの結論ではない。
もっとしばしばあるのが

相手に望むもののレベルを下げる、ということである。


大体において――
私は、『愛しすぎる』のである。

私は仏様ではない。神様では更にない。

多くを与えたいというスタンスに自分が立ったとき、
相手にも同じスタンスを期待する。
私が深く愛したとき、深く愛されることを願う。
だが、相手は必ずしも私と同じ位置に立っているとは限らない。

相手の位置を知って、落胆し、幻滅し、腹立った。
もっと昔は、わずかな立ち位置のズレさえ許せなかった。
私の感情はそれほど我侭で、短絡的だった。
……単純だった。

だが、そうだ。

痛い目にあえば、人間、考えるものだ。
これではうまくいかないのでないのかということを。
絶交か親友かなどというニ者択一は、不条理ではないかということを。


2:
今は。

例えば、そうだ。

私は親友から電話がかかってきたらパソコンを閉じて会話をする。
そして親友にも同じことを求める。
つまり、私と会話するときは、他は置くことを。
どうしても差し迫った用事以外は置くことを。

悪友だったら、私は彼女が部屋に入ってきてもパソコンを閉じない。
彼女にも同じことを許容するだろう。
対話に支障を来さない限り。
同じく、用事を続けることも許容するだろう、対話に支障を来さない限り。

単なる知人であったら、ことはもっと簡単だ。
私と相手の都合のよい瞬間だけ、私たちはともにおり、
なにかをし、会話し、――だが、互いに一切の制約はしないだろう。
そこにあるのは最低限のマナーだけだ。(*)


優先順位、と、言うなら言えばいい。
だがこの優先順位は柔軟だ。


親友はかつて私にとってただの知人であったし、
次には悪友と同じほどの親密さしか持たなかった。
私にとって彼女の存在が大きくなったのは、
それはつまり、交した会話の蓄積であり、
互いに取り交わしたものの蓄積であり、
なにより――彼女の人格と感性、知識への好意である。


3:
互いにとってこの優先順位の程度が同じであることは望ましい。
それが上昇するにしろ下降するにしろ。
だがそういうことはまずないだろう。

私の好意がガス欠になることもあれば、
相手が私に愛想を尽かすこともある。
私ばかり相手の優先順位を上げていくこともあれば、
相手の視線から感じられるものばかり大きくなってゆくこともある。

ひずみは、双方にとって、苦しい。
とりわけ、相手に愛されていないと感じるとき、苦痛となる。
――多く愛しすぎることの苦しさ。
もっとも、相手に応えられない心苦しさも、苦痛には代わりないが。
だがそれは、前者の裏返しのようなもの。影のようなもの。
反響にすぎない、と、私は思うが。


だが私は、どちらかといえばやはり「愛しすぎる」方がいい。
理性がナンと言おうと、私が本当に、好きなら。
苦しさを逃げようと感情をケチるのは、性にあわない。
ああ――そんな器用なことはできない、という説もある。
だいたい私は感情が先行しているのだ。理性は後知恵に過ぎない。
――いつでも。


(*)マナーの概念が違うひともいる。
   私よりもマナーの悪いのはまあ、いい。多少いらつくかもしれないが。
   だが、よすぎるヒトは、勘違いのモトになるから、困る。
   価値観の違いって、これではないかな。

―――――――――――――――――――

眠いので、続きは後で……
書くかもしれないし、書かないかも、しれない。

―――――――――――――――――――

以下、補足。


1’:
もっとも、相手にとっての自分の正確な位置を知るのは、
言う以上に困難である。

やや接触恐怖症の気味のあった私にとって、
普通のテンション(笑)のときに自分から触れに行くのは、
非常に親密な相手にしかできないことだが、
スキンシップをしなれているひとは、そうでもない。

私は会話の間相手の目を見ることを習慣とする。
それは私の習慣であり、我が家の習慣であるが、
そうでないひともいる。

家族のことを尋ねることを、ごく普通の家庭に育った私は
あまり考えずにするが、そうでないひとはそうでないだろう。


2:
全ての行為、全ての言葉、全ての問い、全ての接触。
それはそれぞれにとって違う意味を持つ。

だから、もしかしたら、
私が自分を「愛しすぎる」と考えるのは間違いなのかもしれない。
私が何気なく聞き逃す一言が、
相手にとっては深い深い感情の表出であるのかもしれない。

私はその可能性を忘れない。

多くの愛の形があることを常に念頭に置いていたい。
聡い目を持っていたい。
注意深い耳を持ちたい。
相手の形に対して注意深くありたい。


4:
目の前に咲く花の美しさ、
感情の形を見落とさないこと。
人間の形象のその無限の様態を見落とさないこと。
それが私の願うこと。

そして多分――来年春からの、私の職業に選んだこと。
研ぎ澄まそう、この目を。
この耳を。
この心のあらゆる器官を。

そしてそれでもなお、「愛しすぎる」ことができればよい。
人間に対して。世界に対して。
そうだ、もはやこの感情は憧れではない。
私はこれを、深い根を持つ愛情に変えて行こう。



ありゃ、オチがついてしまった。(のか?)


-



 

 

 

 

ndex
past  next

Mail
エンピツ