終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年10月22日(月)

ジンニーア幻想

1:
私は、どうしてもこれにこだわる。
従って、自家製のキャラはみんな、これにこだわる。

出口。

どこへの出口なのか。
どこからの出口なのか。
私は、知らない。

あるいは、狂気に通じる道なのか、と、
私は生からの脱出を願っているのか、と、
そう思いもする。時々は。


2:
私がいるのは青い空間だ。
青い空間が私の中にあるのかもしれない。
この青い空間が私そのものなのだろうかとさえ思う。

私はそれに名前をつけた。
(それとも、それが勝手に私から名前をぶんどったのか)


――ジンニーア。


共有しえない。
誰とも共有しえない。
それは私の宝で私の毒。
望もうと望むまいと、

世界の果てまで――持ってゆかねばならないもの。


3:
ユング派の概念に、元型というものがある。
太母、賢者、その他、もろもろ。

受け入れそこねた自己の断片、
肯定しえない自己の影。
内なる他者として出会う。

彼女もそのようなものなのだろうか――ジンニーア。
それが私からぶんどったイメージと名前。

善悪を問うことのない魔。
幼い子供――少女。
この世界の純粋なる要素。


4:
私は「それがどうした」という言葉を、
今でもまだ、唯一の武器にしている。

ひとを傷つけた――「それがどうした」
傷ついた――「それがどうした」
なくした、うしなった、拒絶された――「それがどうした」

「それがどうした」
私はまだここにおり、世界はまだここにある。
最悪のことはまだ起こっていない。
私は自分の今いる場所から歩き出す。
どこにいようとそれだけはできる。

そのように思考と感情を叱咤する――いつでも。

にも関わらず、その言葉は、まだ本当に私のものではない。
私のものになりきることもないだろう。
私は本性として傷つけることを恐れ、傷つくことを恐れるものだ。
歯を食いしばる瞬間は、けしてなくならないだろう。

そこにあるのは青い空隙。
――善悪を問わぬ、躊躇うことを知らぬ青白い魔が踊る。


5:
子供の思考を知っている。
かつては私もそこに安住していた。
だがもはや遠い。

少女の思考を知っている。
かつては私もそこに安住していた。
だがもはや遠い。

守られている、と。
そこでは何も悪いことは起こらない、と。
この手は私の全てを知っていると。
正しい答えはいつもある、と。
そのような深い信頼と同化がかつてあった。
――もはやない。

それは出なければならないひとつの全き卵だった。
そこを出なければ、何一つ始まらない豊かな無だった。

だが、私が追憶するとき、
――青白く燃える幼い子供が、そこに遊ぶ。


6:
人間が恣意というものを持つ限り、
人間において感情することと、感情をあらわすことの間に小さな亀裂がある限り、
人間において思考と理性というものが存在する限り、
世界に対する違和感、は。

それはけっして消えないだろう。

嘘をついているような後ろめたさ、
受け取るものは全て騙し取った贓品のような罪悪感、
それはけっして消えないだろう。

本質と表彰が一致することは許されない。
より大きなイエスのために、あえて小さなイエスを押し殺しノーと言うとき、
一つの嘘をついているのかもしれないという苦痛を感じないものはないだろう。

世界は我々をその一部として廻るが、
世界に対するとき我々は常に「いかにして」と問わねばならない。
言霊は存在しない。呼べば現れる魔法は存在しない。

手段の介在せざるをえないこと。

私の美しい魔は、それ自身が一つの魔法。「いかにと問う」ことのないもの。
「いかにして」の迂路を知らずに――彼女は、軽々と飛翔する。


7:
いささか童話風に語ったが、
これは確かに童話風にしか語れないものだ。
全ての童話がどれも小暗い根を持つように。

青い闇の正体。
私の憧れ、追憶、かなしさ――ジンニーア。

ジンニーア、おまえから逃れる道を。
ジンニーア、おまえを連れて。
おまえは私の宝で私の毒。
望もうと望むまいと、

世界の果てまで――持ってゆかねばならないもの。

出口はどこにもなくても、出ることはできる。


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