終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年10月20日(土)

私の部屋には、時々一階の住人、悪友Aが乱入する。
いいんだけどね……いいんだけどね……いいんだけ……(苦)
パソコンの画面だけはのぞきこまないでくれ、頼むから……


母のことを書こう。


1:
高校受験で、妥当ではあるが勉強の厳しい私立T高校を専願にするか、
それとも公立で、「ちょっとムリかもしれん」と担任に
言われているK校を本命にするか私が迷っていたとき、
母は公立を勧めた。


「私立の高校なんて行ったら、
 あんたの爪も牙も引っこ抜かれてしまうわよ」


……どこまで母がT高校やK高校について知っていたかは置いておく。
母は、将来のことや大学受験にどっちが有利かなんて、言わなかった。
私が楽しく過ごせるかどうかなんて、言わなかった。


母は、私の「爪と牙」について、言ったのである。


2:
どれほど父が父なりに私に対して言葉をくれていたとしても、
結局、大事なときにはいつも、母しか側にいなかった。

私が子供の頃、毎晩枕元で本を読んでくれたのは母だった。
「ナルニア国物語」
「エルマーの冒険」
「日本昔話」
「グリム童話」
「アンデルセン」
「アラビアン・ナイト」
もっともっと、と、せがんでは、2時間も読ませたものだった。
今でもまだ家にあるこれらの古ぼけた本を手に取り開けば、
母の声でそれらの物語は語りかけてくる。

幾度もあった引越しの中で、
それまでの友達が全くいなくなって呆然としている私と
一緒に泣いてくれたのも母だった。
励ましてくれたのも母だった。
高校受験、大学受験……相談できるのは母だけだった。

それだけに衝突する相手も母だけだった。
ぶつかる相手は母しかいなかった。
反抗期も、勉強の進まない苛立ちも、感情の揺れも、
世界中の何もかもが腹立たしいような時期、
甘えからなにから、受け止めてくれたのは母だけだった。


私の「爪と牙」。


私について最もよく知っている(知っていた)のは母だ。
その母が、それほど深く知ってなお、私を肯定してくれているということ、
見捨てないでそこにいてくれるということ、
私のブレ、私の逃避、私の暴走を受け止めて奈落に落とさないでくれたこと、
あんなにひどいことを言ったのだから、
今度こそきっと母も私を嫌いになっただろうと思いながら台所に
深夜下りていったら、私の食事がいつも用意されていたこと。

それは、どれほど感謝しても、し足りない。


3:

母は文学少女だった。
子供の頃の夢は作家になることだったと、よく話していた。
私に本を読んで聞かせたのも、本人なりの
「英才教育」だったのかもしれない。



小学校六年生の頃、日本人会の図書室に、よく本を借りに行った。
そこにしか日本語の本はなかったから。
そして子供向けの本などほとんどなく、
私は必然的に、大人の本に親しむことになった。

その日、手に取ったのは井上靖の『孔子』だった。
「決まったの?」と母は問い、
私は本を見せた。
母は多少、イヤな顔をした。
「そんなもの読んでたら、頭でっかちになっちゃうわよ」
「これでいい」と、私は答えた。
「他のになさい」母は言ったが、私はきかなかった。
母はしばらくの間、不機嫌だった。
その後、なにかの拍子に、母がぽろっと漏らした。
その本は――母が大学のときに読んだ本だったのだ。


19のときに、とある小説の賞に、自作の長編を応募したことがある。
初めてだったのだが……2次選考を通って、誌面に名前が載った。
母に見せた。
……喜んでくれるだろうか、と、思って、じっと顔を見ていた。

そのときの母の顔を私は忘れない。

表情はわずかに強張り。
目は開かれ。そこを往来する表情。
私は幾つ見ただろうか。数えられない。
母が何か言う前に私は雑誌を母から取って、
ねえ、おなかへったよ、と、言った。
そしてもう、二度とその話はしなかった。


私の最も醜い「爪と牙」をさえ肯定した母は、
私の甘えと反発と激情とやり場のない哀しさを受け止めてくれた母は、
私の小さな小さな「成功」を、祝福してはくれなかった。
励ましてはくれなかった。
あの――目。

何もかもを分け合える相手は、いない。

そうだ、最も分け合うのが難しいのは、
「成功」や「幸運」「幸福」ではないだろうか。
私はそれを、あの短い時間に、この皮膚で学んだ。
それは恐ろしい自覚で、そして哀しい事実だ。


4:
母を好きか嫌いかと問われれば、好きだと答える。
母はなによりも私の母親であったし、
それも良い母親だった。

しかし、私は無限に母を「よい人」とはしないし、
そうであるはずがないことも知っている。
母もまた、人間なのだ。

良かれ――悪しかれ。

私は母を神聖化する危険から免れた。
母に囚われる危険を免れた。
それも、母への愛情を失うことなく。
母から贈られた多くのもの、――書物への興味、文章への愛着、
生活の型の規範と、人への接し方の規範――それらを失うことなく。

私には母親がいた。
今は、母親という巨大すぎるものではなく――
もっと小さな、もっと欠陥を身に帯びた、時には理不尽な愚痴も言う、
それでも魅力的で善良な、24ばかり年長の――女性がいる。

私は彼女が、好きだ。


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