終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年10月19日(金)

テロ

今回は、入れ子構造。
まずはテロの第一報を聞いて書いたメモ。

――――――――――――――――――――――――――

1:
NYで、ワシントンで、人が死んだ。
なんとたくさんのひとが死んだのだろう。
ビルが崩れ落ちる寸前の写真が新聞に載っていた。
窓からは、人間の頭がひしめきあって助けを求めていた。
シャッターの切られた次の瞬間、ビルは、それごとに崩れたのだ。

親だったのだ、子だったのだ、配偶者であり、友人だったのだ。
今日について考え、明日について考え、一年後について考え、
老後について考え、そしてそれを疑いもしなかったのだ。
――その日まで。その瞬間まで。

炎も、崩れ落ちて粉塵を巻き上げるビルも――その破片も。
何一つ頓着することなく彼らの上に降り注いだのだ。
彼らを殺したのだ。埋め、その骸を焼き、潰したのだ、無残に。
こんなにも理不尽に、だがなんとたやすく、死は落ちてきたことだろう。

民間人、誰も脅かさず、自らの危険について予告されもしなかった人々。
どれほど彼らは生きたかったことだろう。


2:
あなたがたは、深く心を痛め、死者を悼んで首を振られたでしょう。
デカデカと新聞に掲載される悲惨な写真に、神の名を呟かれたのでしょう。
あなたがたは、あなたがたの宗教の上に嫌疑のかかっていることに
重苦しい不安と、違うと言い切れぬ悲しみを抱かれたでしょう。

ニュースキャスターが言います。

「――民間人が――5000人もの民間人
 ――民間人の乗った――民間人を標的に――」

あなたがたは、わずかに、笑わなかったでしょうか。苦く。
あなたがたは民間人でいることを許されなかったのだから。

あなたがたは言うでしょうか、
「人権というものを知るには、人権の守られている必要があるのです。
 人命の尊さというものを知るには、それが尊ばれていなければならないのです。
 いかなる殺人も理不尽であると知るには、
 殺人がまかり通ってはならないのです」

私は信じたいと願うものです。
あなたがたの静かな町を歩いたことのあるものとして、
私は信じたいと願うのです。

あなたがたの多くは、民間人でいることを許されなかったまさにその故に、
故郷を追われ肉親を失い、友を失い、生命を脅かされ、
自らの尊厳を世界から認められてこなかったまさにその故に、
――今、あなたがたは失われたものの苦痛を誰よりも知り、悼んでいるだろうと。


3:
非人間的な死を押し付けられた人々と、非人間的な生に生きざるをえない人々。

私は原因をもって結果を許そうとするものではありません。
このような大虐殺は、あってはならないことです。
人権はけっして目に見えるものではなく、不断の努力によって
不断の努力のみによって――存在しうるのです。

私は悲しいのです。
こんなにも多くの死がここにあるということが。
更に多くの死がこれからあるだろうということが。
そして今私にできることがないということが。

死者の魂の安らかならんことを――願い。
今生きてある全ての人々の幸いを――願い。

――――――――――――――――――――――――

このときはまだ、パレスチナ人が喜んでる映像を見てなかった(笑)
しかし、エジプトなど穏健アラブ諸国では、おそらく言えるでしょう。
戦争など、テロなど、望んではいない人々です。

彼らはいまだ世界経済の中では相対的に辺縁の地にあります。
しかし動乱と内乱がなければ、自らの地位を確立できるのです。
それは未だ、軌道に乗ったとさえ言えませんが、
しかし、イスラームという行動様式が、ひとつの形として――
現行の国際社会の中に既に受け入れられ、理解されつつあったのです。

今度の戦争で、アラブへの理解は大きく悪化するでしょう。
イスラームは異端と見なされるでしょう。
それは一つの形であるというだけなのに。


アフガン空爆、戦争については――
まとまったメモはないのだけれど。

―――――――――――――――――――――――――


正義を叫んではいけない。
あなたがたが殺すのも人間だ。
あなたがたの国民、同朋と同じく人間だ。
正義を叫んではいけない。

ただ報復を叫びなさい。

事情は誰にでもあるのです。
そうです、あなたがたの背負うのは事情に過ぎません。
彼らが背負っているのも事情に過ぎないのと同じです。
どちらの事情も事情に過ぎず、神の裁きとは無縁なのです。
だから、正義を叫んではいけない。

ただ悲しみと憎しみを叫びなさい。

罪を犯すことも、泣き叫ぶことも、生きることです。
悔い改めることも、罪科を我が物として背負って行くのも生きることです。
力を尽くすこと、全ての力を尽くすことだけしかそこにはありません。
ああ、正義だけを信じてはいけない。
正義だけを叫んではいけない。


サン・テグジュペリの『夜間飛行』に、
おぼろげにしか覚えていないが、こういう一節があった。


「それら巨大なモニュメントを作った南洋の王たちは、
 なるほど一人一人の国民の死や 苦しみには
 同情を持たなかったけれども、人間という種の死、
 その暗い忘却の深淵には限りない同情を抱いていたのだ」


生に勝る死、幸福に勝る不幸。
偉大さは全て愚行だ。非人間的だ。
ビン・ラーディンであれアメリカであれ。
人間は――どこまでも人間として振舞うべきなのだ。

―――――――――――――――――――――――

ナニサマ、という感じですな。(笑)
しかしそう書いたのだから、しょうがない。

基本、私はアメリカが嫌いです。
「nation」という単語を「アメリカ」の意味で使ってる時点で嫌いです(笑)
それが出てますな。

も少し、こう、ジャーナリスティックに書けないもんだろーか……(むぅ)
公平に公正に、緻密に事実のみを……


日々是修行………………。


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