終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年10月13日(土)

本能の環とその隙間。

1:
ある種の魚、あるいは鳥の生活環は、本能だけで閉じている。

生活環というのは、
生まれ、生長し、
番になり、繁殖し、子育てし、
死ぬまで。
つまり生活の全段階を言う。

本能が全てにおいて彼らを導き、
なにが望ましくなにが望ましくないか。
これをあらゆる局面(エサの確保、番の相手探し、子育て上のモロモロ)に
おいて『正しい』ものを教える。

「いかにして」という言葉さえ、彼らは問わない。
それらは常にあまりにも明らかだから。
そして本能の言葉は、常に正しい。

彼らは失敗はしない(遺伝子が間違えたときは別だ)が、
――この環の外に出ることもできない。


2:
この――『環』。
本能の環。
限界であり、正しさの規範。

「ちゃんと」

生きるための、原初の指針。


3:
人間はこの環に欠陥を持っている。
望ましいものは常に明らかでなく、
「いかにして」という問いはしばしば迷走する。

だが、そう。

そこに、個性の存在する余地がある。
個性的という言葉に意味を与えうる余地がある。

――恣意と、意思が。
それこそ、この欠陥を生まれながらに与えられた指輪の台座、その宝石だ。

そこに紡がれるものが常に美しいとは限らない。
それは最も醜悪でありうる。
それは残酷でありうる。
だが同時に、崇高でもありうるのだ。
善良でも、偉大でもありうるのだ。

この環の欠陥が――

「人間を偉大にも卑小にもする」
         ソポクレス『オイディプス王』より

そして、その偉大と卑小さえも、己で決めるのだ。人間は。



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