終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年10月08日(月)

私は善意を嫌う。

1:
私は善意を嫌う。

それが義務であるか、あるいは義務を装ってされるのでない限り。
それが愛情であるか、あるいはやむをえずなされるのでない限り。
極度に恥じ入りながらなされることによってその悪臭が消されない限り。

「相手のために」なされることは全て汚い。
それは生臭く、腐敗の臭気を伴う。
その濁った黄色い視線を見つめることを私は嫌う。


それは悪意とは逆の理由で私の胃腸にこたえる。


2:
受け取ることさえ、ひとつの技法なのだ。
取り落とさず受けとめることの、なんと困難なことだろう。
注意深くあるだけでは十分ではない。

そして善意ほど受け取るに困難なものはない。
与えることはむしろたやすいのだ。
困難なのは、準備の整っていないときにさえ、
差し出されるものは差し出されるということなのだ。

それゆえ。

差し出されるものほどしばしば取り落とされるものはない。
取り落とせば憎まれるのが善意だ。そこにその腐臭がある。
私は善意を嫌う。


3:
イスラームの流儀を、私は愛する。

与えることは義務であり、受け取ることも義務である。
与えるものは、その代価に楽園に一歩近づく。
受け取るものは、むしろ恩恵を施すのだ。

そのような在り方を、私は愛する。
そこには腐臭がない。受け取るものの厚顔がそれを打ち消す。
そこには乾いた、深い、ほんとうの善意がある。


そのような善意でなければ、私には受け取れない。


4:
善意のみを持ってひとに近づくひとは、
その目を強く見つめられることを望まない。

猜疑を向けられるように感じるのか。
恩義を受けるものは卑屈に目を伏せていなければならぬと思うのか。
強く見つめていれば、訝しさが混じり、やがて与えるものの残忍さが浮かぶ。


善意のひとの目を、私は嫌う。


義務として一切の感情なく善き行為をするものだけを、
己が愛情からやむをえず善き行為をするものだけを、
恥ずかしげに、盗むように善き行為をするものだけを、
その善い行為だけを、私は受け取ることができる。

その余のものは私には飲めない。
無理に飲み下せば、毒のように私の中を焼くばかりだ。


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