- 2001年10月02日(火) 1: 少年はすべからく世界制服を夢見る、という。 ホントかウソか? ある意味、ホントである。 世界征服とは、世界操作と言い換えても良い。 欲しい玩具があったら、まずそれがどこにあるか知らねばならない。 親の財布の中の紙切れを交換に渡さねばならない。 それなしでは怒られる。 親はその紙切れを大事にしており、 自分が例えばお使いや掃除をしなければそれをもらえない。 子供は、手に入れた玩具を抱きしめて考える。 あるいは、手に入らなかった玩具を見つめて考える。 あの紙切れがあれば、好きなだけ玩具は手に入る。 もしかしたら、どんな願いもかなう。 なら。 『どうすれば』 その紙切れ、世界の秘密の根幹、世界支配の法則を、手に入れられる? かくして少年は、世界征服を夢見る。 …………もちろん少女も。 2: 子供が考えたようには、 金は万能の世界の鍵ではなかった。 だがそれは、ともかく、子供が、世の中には何か法則が作用していると そう知る機会とはなった。 愛するのにも、愛されるのにも、 『どうすれば』 は、ついてまわる。 ここにも法則はある。 『どうすれば』愛される? 不当ではない。不当ではないのだ。 愛というものが人間にとって大切であればあるだけ、技能は重要なのだ。 愛だけがただ純粋にその感情のみで受け入れられる、そんなはずがない。 『どうすれば』愛される? 愛を願うこともまた、世界と他者を操作することなのだから。 ただ子供じみて「愛している」と叫ぶだけでは何にもならない。 本当に、愛を手に入れたいと思うなら。 技能は、必要なのだ。 不当、ではない。 3: 私の『人形人格』は、つまりこの『どうすれば』の集積だ。 それは少しも、病いではない。 それは私の重ねた観察の帰結であり、 私がどれだけ真剣に世界と向き合ってきたかを示す成果だ。 私はこれを、誇ることさえ、できる。 何といっても、私はこれを磨き、整え、飾るために、 人生の最上の部分を、それも惜しげもなくささげたのだから。 「以前はそれら『徳』の方が汝の主人であった。 しかしそれらはただ他のもろもろの道具に並ぶ汝の道具で ありさえすればよいのだ。 汝は汝の賛否を支配する権力を手に入れ そのつど汝のさらに高い目的に従って それらの徳をはずしたり、ふたたびかけたりすることを 心得るべきであった」 ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』より 潮時なのだろう。 私は再び私に返り、私自身の欲求と願いに立ちかえり、 『人形』を私の主人とあがめることをやめなくてはならない。 これは私の道具、それ以外のものではないと、 そのように宣言しなければならないのだろう。 今、私の願いを、『善』の上に置く。 正しかろうと、正しくなかろうと。 ――私がそう、したいのだ。 -
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