終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年09月24日(月)

……まるきり修行が足りてない。
というわけで、もう少し、この日記を続けなくてはならないらしい。

1:
私は肉体と精神を持っている。
つまり、『私』は、肉体でも精神でもない。


2:
小学校の入学式の帰り、ラーメン屋の店先。
ショウウインドウに映った影に。
私は自分が身体というものを持つと知った。

「ワタシ・ガ・ココニ・イル」

そうだ、否応なく。
私の背はいつも高かった。
私の手足はデカかった。
私の顔は丸顔で、硬い真っ黒な髪が多めに生えていた。
首の骨が一つ歪み、背骨が少し曲っていた。

私は、そういうわけのわからないものの所有者だった。
私の手も足も、『私』にとってはサナダ虫と変らなかった。
じっと見ていれば、吐き気のする代物だった。

だが、そういうものの所有者として、私は扱われた。
私はそれに気付き、否定したく――でも、紛れもなく、そうだったので。
私はそれに、吐き気をこらえながら、慣れていくしかなかった。

――否応なく。


3:
人間の形に美しさを見出すことができるようになったのは、
もっとずっと後、20の齢に、シリアの砂漠に立ってからだ。
あの荒涼とした平野、寥々と砂のみ流れる荒野で、
その光景のあまりの美しさに疲れて、振り返ったときだ。

直線と鋭角、犀利な岩々、焦げ茶の濃淡のみが色――その荒野。
生命に見捨てられ、上る日と沈む日より他何も知らぬ虚無。
限りなく壮大無間、宇宙の一端に連なる風景、
――私の目は、そのあまりの美しさに、最も醜いものを見たと同じく――

深く疲れた。

私は振り返り、そこに一つの顔を見つけた。
見慣れた悪友の日に焼けた顔が、そのときなんと懐かしかったことだろう。
なんと胸に深く柔らかく沁み、私の内に温かな水の静かに満ち溢れたことだろう。

人間は、人間を必要とする。
私はそうと、知った。

ひとの美は、ひとにあるものだった。


4:
私が精神の所有者であることを知ったのは、いつだっただろう。

小学校5年生の頃、私は鼻持ちならない子供だった。
友達なんていなかった。のけものだった。
勉強はできた。成績はよかった。教師に嫌われていた。

今から考えれば、あたりまえであるが……
その当時は、なぜなのか、さっぱりわからなかった。

それでも、他人に嫌われつづけることは、およそ楽しいことではなかった。
席替えのとき、班を作れと言われても、誰も私を誘いにこなかったことを思い出す。

ひどく、悔しかった。


5:
私は周りに、注意深く、ゆっくりと、耳を傾け始めた。

好かれている子は、どんな話し方をしているか。
好かれている子は、どんな行動をしているか。

言葉は、どうやって選ぶ? 誰も不満気な顔をしない会話の回し方は?
女の子同士のグループというのは、どうやってできる?
どんな子が中心になっている? どんなときにバラバラになる?
どうすれば、相手を喜ばせられる? 自分はどのスタンスに立てる?

私は天性の社交家ではなかった。
どの細部も、いちいち、推論し、確かめ、やってみなければならなかった。
わからなくなれば、私は私自身の精神と相談した。
精神は『私』の外に立つようになった。

私はピアノの音を整えるように、自分の精神を調律した。
虚栄心、自己顕示欲はできる限り抑えるように――
感情を後にし、皮肉は抑え、できる限りひとを立て――
6年生の後期には、私は学級委員をやっていた。

難しかった。今でもまだすっかりうまくはいかない。
人間が人間の中でしか本当には生きられないというのは、ひどく苦しいことだ。


6:
私は自分の身体に慣れた。
自分の指を見つめていても、もう吐き気はおこらない。

私は自分の精神を根本から調律しなおした。
私はもう、いるだけで他人を苛立たせる存在ではない。(と思う)

『私』は、精神と肉体、この二つを所有した。

だが、『私』は、罪悪感に苦しんでいる。
不当にこの身体の持ち主を名乗っていることに。
好意を恣意に買おうとする行いのあまりの不当さに。


7:
私など、いなければよかったのに。
せめて誰からも見えず聞こえない存在であったらよかったのに。

私は幾度も夢想する。

高いビルの上――雲ひとつない空に、跳躍を一つ。
そら、落ちる!
――――それで、終り!


8:
それでも私はここにいる。
まだここにいる。

世界はあまりに美しく、広大で、私に通り過ぎることをまだ許さない。
人間はあまりに多様で、その紋様は綾なして紡がれ、私の目を奪う。

私の憧れは、まだ眠らない。
私はまだ魅了されている。

遠くへゆこう。
深く豊かなものを、見つめよう。


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