終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年09月20日(木)

年を拾ってしまった(笑)
というわけで、この日記は今日で終りである。

もともと、自分の中身の、これまで触れたくなかった部分を
なんとか言葉の領域に引きずり出すために書いてきた事々だ。
誰か読んでくれたのか、あるいは読んでいて楽しいものだったのかどうか、
そんなことはどうでもいいし、実際、私とは関わりない。

やりたかったことはできたか?
――やらなかったよりはできた。

再開するとしたら、次はPC日記になる。


1:
死には、2つの顔がある。
死ぬものと、残されるものだ。

私は、相当に昔から、「死」について考えてきた。
が、私はけっして、自分を残されるものとしては見なかった。


2:
まだ私が熱帯に住んでいた、子供の頃の話である。
言いたくないが、私はしばしば迷子になった。

いつもの通学路、いつものお使いの帰り――
ふと、これまで曲がったことのなかった路地が目に入る。
見たことのない番号のバスがやってくる。
そうなると、もう、矢も盾もたまらない。

次の瞬間には曲がっている。次の瞬間にはバスに乗っている。
「早く帰らないとお母さんが心配する」「道がわからなくなるよ、もう帰ろう」
そう言う良識というか常識的な声は胸のどこかにあるのだが、
一方でごねる声もあり、そして大半こちらが勝ちを占めた。
「この角を曲がったら」「あと十歩だけ歩いたら」「次のバス停まで」。

そうして。

気がつけば――見知らぬ風景、見知らぬ人々、わからない言葉。
安全なのかそうでないのかさえ、私には見当もつかない。
影光ともに強い真昼の町中で。複雑に入り組んだ路地で。

私はどこまでも一人で、そして誰も私を顧みず、
私は何一つ定かな存在ではなかった。
何も私を保障しなかった。私の生命も、尊厳も、人権も。
小銭の入った財布はもとより。

そうとも、法律が、慣習が、人権思想が、
その瞬間の私にどんな意味を持っていただろう。
薄氷を踏むような思いだった。しかもその薄氷は、いつでも破れうる。
いつでも破れて、奈落はそこに開く。私はそうと知った。


3:
私は、大阪で阪神大震災を迎えた。
95年1月17日、私は寝ていたベッドから放り出されかけ、
居間では、花を活けていた花瓶が二つ割れた。
我が家は無事だった。大阪の南部にそれ以上ひどいことはなかった。

だが、ワイドショーが、ニュースが連日燃え上がる神戸を映し、
神戸に親戚のいる級友たちはペットボトルや食料を背負って出かけた。
焼け出された人の、生き埋めから掘り出された人々の記事が新聞に載った。
一人生還したひとの背後には、百人の生還できなかった人がいただろう。

私は彼らを思った。

法律も、慣習も、人権思想も、彼らを守りはしなかった。
炎は、瓦礫は、少しの容赦もなく彼らを殺した。
どれほど苦しかっただろう。どれほど生きたかっただろう。

私は彼らを思う。

誰もが逃げ去った静寂の中で、炎の迫ってくる気配を感じる。
逃げようにも体は、親しかったはずの我が家に押し潰されて、
抜け出すこともできない。
煙が染みてくる。熱気が伝わってくる。パチパチと、炎のはぜる音も。
――逃れられない死だ。
残酷な苦痛を容赦することのない死だ。
死ぬのだ――今! これから!
助けを待つことも、それに一縷の希望をかけることもできない。
誰に文句を言うこともできない。罪に対する罰でもない。死は死に過ぎない
さあ、もう、空気は、息もできないほどに熱い。
苦しんで――死ぬのだ!

私の足元で、あの熱帯の国の迷子だった私の足元で、奈落は開かなかった。
だが彼らの足元では――開いた。その差は本質的なものではない。


4:
私の周囲で人死にがなかったわけではない。
事故もあった、病死もあった。肉親も友人も死んだ。
同じ教室で笑っていた同級生の訃報も聞いた。
だが、私は自分をけっして残されるものとして考えない。

死者は常に私だ。ありえたかもしれない私だ。
やがてそうなるだろう私だ。全ての死は私の死だ。
私は死者を悼む。だが残されたものの思いを私は知ることがない。
私は死者を悲しむ。だが残されたものの悲しみは私を打たない。
残された悲しみを私は知ることがない。
それを糧とする手立てをまだ私は知らない。

全て死にゆくもの、死にうるものだけが私に親しい。
私は足掻いている。私は死に物狂いで生きようとしている。
だが、変わらず私は死にうるのだ。それに変わりはない。
私はいつも自分の足元の崩れ、奈落に落ちる日を予感し続けている。
いつか必ず私は落ちるだろう。

私は冷酷なのだろうか?
だが私は、生きねばならない。
私という決定的な要素が残る限り、私は闇雲にでも手を伸ばし、
足掻き、苦しみ、のたうち、唸り、反吐を吐いて、生きねばならないのだ。
生きているのだ。今日も。
――死にうるものとして。

私は、生まれながらの人権や、普遍としての正義というものを信じない。
それは、人類の努力目標ではあるだろう。
だが存在しない。今のところは。私はそうと知っている。

そしてひととなることは、困難だ。あまりにも。


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