終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年09月18日(火)

1:
中原中也は、狂死しなければならなかった。
ランボーは、出発しなければならなかった。
少なくとも、小林秀雄にとってはそうであった。

「批評とは、自らの思想を懐疑的に語ること」だと、小林秀雄は言った。
ならば表現は、『真実』でこそあれ『事実』とは常に遠い。


2:
以前、ちらと書いたが、初対面の顔に対したとき、
「鼻が低すぎる」「口がでかすぎる」という感想を、我々はしごく日常的に抱く。
しかし、「何に対して」鼻が、口が、低すぎ、でかすぎるのか、と、
ふと考えたとき、具体的な何物も上げることはできないだろう。
にも関わらず、目の前の人の鼻は低すぎ、口はでかすぎる、という感じは
依然として残り、いかに努めても、消し去ることはできないだろう。

『真実』というのは、そのようなものだ。
どこにもないが、我々の思考の基準としてあり続ける。
それは時に『事実』の方さえ歪めてしまう。

ひとが筆をとるとき、彼は『事実』を紙の上に再構成しようとして、
自らの『真実』をも図らずして暴露する。

彼のスタンダートの規格、願い、望み、生命――
全て表現において、『真実』は、『事実』との乖離にこそ求めうる。


3:
キェルケゴールというデンマークの哲学者がいる。
難解な文章で更に難解な思想を説く類の哲学者で、本当なら頼まれたって
読みたくない種類の分厚い本をゴタゴタ残している。
粘着質な私の読書も、この哲学者の全集は、半分で頓挫して投げ出した。

じゃあなんだって、そんな読みたくもないものを読んだのかと言うと
とあるひとが、茶中にこの哲学者の言葉をちらりと出したのである。
そして私は見事なまでに、その出典がわからなかった。
……とてもとても、悔しかったのである。

いや、まあ、そのへんは置いておくとして……
このキェルケゴール、自分の本名で本を出したことがない。
全て、著書を偽名で出版している。
それは、どうやら――

「これらは私自身の信奉している思想ではなく、
 一つの思考のあり方を示した試論に過ぎないもの」

だとの理由であるというのだ。
つまり、彼自身の『真実』ではないと。

馬鹿な、と、私は思う。
そこにどんな韜晦、事情、ポーズがあったのかは知らないが、
私はその一事だけでこの哲学者が大嫌いになった。
どこかの解説に書いてあったこの経緯を読んだあとは、
胸がむかむかして先を読めなくなった。しまいに吐いた。

表現には、『事実』に反することを書いてもよい。
だが『真実』以外を書いてはならない。
書いたものに対して、冗談でも「知らない」と言ってはならない。


4:
A 小林秀雄は、「地獄の季節」の「別離」をランボー最後の作と信じた。

「この俺、かつては自ら全道徳を免除された道士とも天使とも思った俺が、
 今、務めを探さうと、この粗ら粗らしい現実を抱きしめやうと、
 土に還る。――百姓だ。」
         小林秀雄訳:ランボォ「地獄の季節・別れ」より

これをもってランボーは詩に永遠の別離を告げ、筆を投げ捨て、
生々しい一人の人間として現実を生きるために、アフリカへ向かったと。
それが詩人と詩の一つの極限であるのだと。

ところがどっこいこの後に「イルミナシオン」という詩があった。



B 「中原に最後に会ったのは、狂死する数日前であった。
 彼は黙って、庭から書斎の縁先に入って来た。
 黄ばんだ顔色と、子供っぽい身体に着た子供っぽいセルのねずみ色、
 それから手足と足首に巻いた薄汚れた包帯、それを私は忘れる事が出来ない」
                       小林秀雄「中原中也の思ひ出」

ここで小林秀雄は、少しのためらいもなく狂死という言葉を使っている。
中原はその「かなしみ」に取り殺されたのだと、
それもまた詩人と詩の一つの極限であるのだと、全ての文章は指し示す。

だが中原中也の伝記を書いた大岡昇平は、中原中也の死因は「粟粒結核」であり、
断じて狂死と言われるようなものではないと幾度も断っている。



C 『真実』と『事実』は、ここにおいてかけ離れている。

問いは1つだ。
――何ゆえ、彼は『事実』から彼の『真実』を、作り出したのか?

批評家を批評するのは下らぬことだ。

だがこの脳髄の構造を知りたい。
この眼球の構造を知りたい。
この魂の組成を知りたい。



D だが――そう。

私が見ることが出来るのは、私の『真実』でしかない。
私の目の見ることの出来ない波長は、私にとっては闇なのだ。
そしてそれこそが要ではないと、誰に言えよう?

思考の――罠だ!


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