終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年09月16日(日)

「堅い瓔珞はまっすぐに下に垂れます。
 実にひらめきかがやいてその生物は堕ちて来ます。

 (一連略)

 けれども堕ちるひとのことや、
 又溺れながらその苦い鹹水を
 一心に呑みほさうとするひとたちの
 はなしを聞いても今のあなたには
 ただある愚かな人たちのあはれなはなし
 或は少しめづらしいことにだけ聞くでせう。

 けれどもたださう考えたのと
 ほんたうにその水を噛むのとは
 まるっきりちがひます。
 それは全く熱いくらいまで冷たく
 味のないくらいまで苦く
 青黒さがすきとほるまでかなしいのです。

 (一連略)

 こんなことを今あなたに云ったのは
 あなたが堕ちないためにではなく
 堕ちるために又泳ぎ切るためにです。
 誰でもみんな見るのですし また
 いちばん強い人たちは願ひによって堕ち
 次いで人人と一緒に飛騰しますから。」
         宮沢賢治『春と修羅・補遺』より


1:
私は他の子供たちと同じく宮沢賢治の童話を読んだ。
子供ながらその不思議な言葉の並びに酔わされた。
水底に青白い星の透けるような硬質な透明さ。
風に両手を広げて抱きしめるような寂しさと親密さ。

深く太く恐るべき小暗い根を持つ昔話でもなかった。
子供向けに空想と世間知と砂糖を混ぜた童話でもなかった。
いっぱしに子供の本の量をこなしていた私にとって、
それは「分類不可能」な、不可解な本だった。


2:
私は詩歌をほとんどちっとも解しない。

かなり幾度も、噛み付いたり、何時間も文字を見つめたり、
口に出して読んでみたりしてみたが、
詩はおよそ、紙面にべったりとはりついたまま、
剥がれもしなければ、私の中に入ってきたこともなかった。

私は詩的理解というものには、無縁である。


3:
「わたくしはどこまでも孤独を愛し
 熱く湿った感情を嫌ひますので」
         宮沢賢治『春と修羅・補遺(序)』より


宮沢賢治について、私はこれまたちっとも知らない。
が、何か生物学の本を読んだときに、末尾にちらっと載っていた
「ライスカレー」にまつわるエピソードを読んで、へええと思ったことがある。

その本が手元にないので、うろ覚えであるが――

宮沢賢治の家には、よく農業の発展に熱心な若い男女が集まった。
そのうちの一人の女が宮沢賢治に思いを寄せていた。
この女が、夕食当番か何かだったのだろう、ある日ライスカレーを作った。
皆食べたが、宮沢賢治は「彼女の作ったものは食べません」と言って食べなかった。

それだけの話なのであるが、これに付して本の作者が言うには、

宮沢賢治は、その女が嫌いだったのではなく、ライスカレーが嫌いだったのでもなく、
「詩作」「農業活動」「家族」の三つ全部をとることが不可能だと思っていたのである。
また「家族」に縛られて自分の理想とする、誰にでも公平で自己犠牲的な生き方を失い、
我が子可愛さに囚われて視野が狭くなり、私利を図るようになることを恐れた。
だから、彼女の作ったライスカレーを食べることができなかったのである。

つまり、このライスカレーは、エデンの園のリンゴであったと言いたいらしい。
ならば宮沢賢治は見事誘惑を退け、楽園にとどまった!
めでたしめでたし!

……そーか?(ぼそり)


4:
私は、この「ライスカレー」事件より他に宮沢賢治の感情生活について知ることがない。
あとは妹とし子の死を歌った『無声慟哭』を睨みすぎて消化不良を起こしたくらいである。
だが、宮沢賢治がただ単に楽園からの落下を免れた天人であるとはとても思わない。

なるほど彼は、「熱く湿った感情」の中には落ちなかった。彼はこれを徹底的に避けた。
彼が落ちたのは、硝子のように硬質で、冷たく、透き通った青い闇だった。
それは肉欲や血肉の愛情の罠や暗がりよりも、遥かに暗い業、暗い落下だっただろう。

苦痛に耐えうるものほど多くの苦痛を背負わされる。
自己犠牲を惜しまないものは最後の肉のひとかけらまで毟り取られる。
善良であるというのには、無限の強靭さを持つ意思がいるのだ。

自ら願って得たその青く澄んだ落下の最中、彼はどんな地獄を見ただろう?


5:
人間感情の泥濘、「熱く湿った感情」の温もり、
ああ――釈迦なら、ライスカレーを拒みはしなかった!
口に合うかどうかはさておき、あのインド人は、乳粥は食べた。
だがあなたは、苦く冷たくかなしい水だけを享けようと言うのだ。

自己犠牲は人間の道ではない。夏目漱石流に言うなら天の道だ。
全て極度の強さ、善意は非人間的だ。戻っておいで、どうか。

非人間的なまでに青く澄んだおだやかな眼差しを持って、
非人間的なまでに強く孤独なやさしい魂を連れて、
一切の熱と湿り気を拒絶して、
そしてあなたはどこに行こうというのだ。

あなたは青白くりんりんと光る夜鷹の星を描き出し、
それをあなたの予感としたが――だが、あなたは人間をやめようと言うのか。

戻っておいで、あなたの道は黄泉路だ。
あなたの飛騰は人間からの脱出だ。
あなたは私たちをどこへ誘おうと言うのだ。

グスコーブドリよ、風の又三郎よ、カムパネルラよ。

青ぐらい修羅のみち、と、あなたも言ったではないか。
わかっているはず、どこへも行けはしない。
戻っておいで、帰っておいで。そしてライスカレーをおあがり。
これが人間世界の聖餐なのだよ。


「人間は何と人間らしからぬ沢山の望みを抱き、
 とどのつまりは何とただの人間で止まることでしょうか」
             小林秀雄『私の人生観』より



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